前回の続きです。


入院5日目、髄膜脳炎により意識障害を起こした私は、その日の記憶が断片的にしかありません。


私は全く覚えていないのですが、脳のCTを撮った後、髄液検査もしたそうです😲


ナースステーションのすぐ前の病室に移されたこと、尿管カテーテルがつけられたことは、次の日になって気が付きました。


記憶にあるのは、さとるさんが病室の戸を開けて入ってこようとしたとき、誰かに声を掛けられてそのまま行ってしまったこと。


これは午後3時頃のことで、さとるさんは私の病状を聞くために呼ばれていたのです。


自分が深刻な状態に陥っている自覚がない私は、

『どこに行っちゃったのー?早く来ないかなあ。』

と、ぼんやり考えていました。


その頃、さとるさんは、私が髄膜脳炎を起こしていること、意識障害があり後遺症が残るかもしれないこと、原因は不明であることなどを伝えられ、ショックを受けたそうです。


その後、さとるさんは帰宅して私の弟に連絡。


家に来てくれた弟と、両親にどの程度話したらよいか(肺腺癌のときと同様、できるだけ隠そうとしていました)相談していると、私から怒濤のline攻撃(私にはまるっきり覚えがない)。


私は、呪文のような意味不明な言葉と、落ち込んでいるうさぎと怒っているうさぎのスタンプを延々とさとるさんに送り続けました(全く覚えていないけど)。


病室の入口まで来たのに入ってこなかったさとるさんに不満をぶつけていたのかもしれません。


(今でもこのlineの履歴を見ると、さとるさんに申し訳ない気持ち、悲しい気持ちになります。)


もう一つ覚えているのは、夜になってスマホの充電が減り、

『充電したいのに、充電の仕方が分からない!』

と焦りまくっていたことです(充電器はちゃんと目に見えるところにあったのに)。


どうしたらよいか一生懸命考えるのですが、さっぱり分からないのです。


『どうするんだっけ?いっつも充電してたのに。何で分からないんだろう?』

という感じ。


そして、なぜか、

『自分のスマホの番号を書いてみたら分かるかな。』

と思い、メモ帳に書こうとするのですが、全然書けないのです。


番号はちゃんと頭に浮かんでいるのに、その通りに書けないという状態で、このとき、

『頭がおかしくなっちゃったのかな。』

と思ったことを覚えています。


その後、見回りに来た看護師さんが、

「ここに、こうすればいいですよ。」

とスマホを充電器とつないでくれました。


『ああ、そういえばそうだったかもなあ。』


ぼんやり思って、その日は寝ました。


入院5日目はこうして終わりました。