今日は朝から非常に悲しいニュースがありました。
今朝、なにげなくテレビを見ていて、そのニュースが流れた時、思わず声が出てしまいました。
2020年1月26日、私が一番好きな選手でありました、元NBAロサンゼルスレイカーズのスーパースター選手コービー・ブライアントさんがヘリコプターの墜落事故でお亡くなりになりました。
まだ41歳という若さでした。
学生時代バスケ部に入っており、私が一番NBAにはまっていた高校時代(2000年頃)から私はレイカーズファンでした。
その時、レイカーズはSGのコービー・ブライアントとCのシャキール・オニールのコンビでNBAを3連覇するなど絶頂期を迎えていました。
コービー選手は高卒でNBA入りしてたった4年という若さでNBAチャンピオンになりました。
以降、2016年に引退するまでレイカーズ一筋で20年のキャリアを築きました。
NBAでは、オールスターに18回選出、MVP1回、得点王2回、プレーオフMVP2回、歴代最多のオールスターMVP4回、オールNBA1stチーム11回、NBAオールディフェンシブチーム9回、オリンピックにドリームチームとして参加し2度の金メダル獲得など、輝かしい記録を残しています。
バスケットボールの世界では、「神様」と言われるマイケル・ジョーダンが歴代最高の選手と言われます。
そのジョーダンから「唯一自分に勝てる可能性があるのはコービー・ブライアントだ」と認められた存在でした。
ジョーダン引退後のNBAを盛り上げたスーパースターでした。
コービーと言えば、その持ち味は何といってもその得点力と試合を決める勝負強さでした。
バスケの試合では、1ゲームに30点取れば大活躍と言われる中で、コービーは2006年に、1試合に81得点という信じられない記録を打ち立てています。
選手として晩年にはケガで苦しみながら、引退試合には60得点するという普通では考えられない選手でした。
コービーの総得点数は3万3643点でこれまで歴代3位でしたが、コービーが亡くなる前日の1月25日には、現レイカーズ所属のレブロン・ジェームス選手に抜かれ歴代4位になったというニュースがあり、コービーはレブロンを称賛したという事で感慨深いものがあったのですが、その次の日にこんな事が起こるなんて本当に思いもよらないことでした。
コービーは日本とも縁のあるプレイヤーでした。
そもそも、名前のコービー(Kobe Bryant)はお父さんが「神戸牛」を食べ、その美味しさに感動したことから名づけられました。
その縁あって、2001年にはお隣りの神戸市から神戸大使を委嘱されていました。
そんなコービーの訃報に世界中のファンから悲しみの声が上がっています。
今回、ヘリコプターの事故では、コービーの13歳の娘さんも一緒に亡くなったそうです。
残された奥さんや娘さん達家族の悲しみはいかばかりかとお察し申し上げます。
コービー・ブライアントさん、そしてそのお子さんのご冥福をお祈りいたします。