少し前の話ですが、集団的自衛権の行使容認についての新聞大手各紙のアンケート調査があまりにも違うというニュースがありました。一体どうなっているのかという事について考えたいと思います。


<各紙の調査結果>

朝日新聞 賛成27%、反対56%
毎日新聞 賛成39%、反対54%
日経新聞 賛成39%、反対54%
読売新聞 賛成71%、反対25%
産経新聞 賛成69.9%、反対28.1%


 今回の大手新聞の行ったアンケート調査が全然信用できないという声がインターネット中心に挙がっています。
 無作為抽出で行ったはずのアンケート結果が、あたかも自社の論調に合わせたような結果になっているという訳です。
 この結果を見れば、私もその声に同調せざるを得ません。


 大手メディアには良い面でも、悪い面でも社会に大きな影響を与えます。

 私も3月議会で、従来の広報だけではなく、テレビも活用すべきではないかと提案したのはその良い面に着目しての事です。


 大手メディアが社会に与える影響の中でも、特に、世論調査には世論誘導する効果が大きいと言われております。

 人間は社会的な生き物です。良かれ悪かれ、自分の考えが世論の動向と違っていたら、自分の考えがおかしいのかと思ってしまうものではないでしょうか。


 普通ならば、一般的な意見が多数派となるはずですが、今回は両極端になりました。

 では、今回は何故こんなに新聞社毎に賛成反対が入れ替わる結果となったのでしょうか。
 それは設問の仕方が違うからです。


 便宜的に読売・産経を賛成派、朝日・毎日を反対派とします。
 賛成派の設問は「全面賛成」「限定容認」「反対」の3種類あり、全面賛成は1割、限定容認は6割の合計7割が賛成としているのです。
 一方で反対派は「賛成」「反対」のみの設問です。(「わからない」等を除いて)
 そのため、限定容認という中間の項目が無かったため、反対に流れたのではないかと言われております。
 ちなみに、毎日新聞が「限定容認」を入れた調査では、全面賛成が12%、限定容認44%、反対38%となっており、その説を証明しているように思えます。


 また、集団的自衛権の定義については、
 「アメリカなど日本と密接な関係にある国が攻撃されたとき、日本が攻撃されていなくても反撃する権利」とする新聞(日経)もあれば、
 「日本が攻撃されていなくても、日本への攻撃とみなして、一緒に戦う権利」とする新聞(朝日)もあります。

 この「反撃」と「戦う」で結果に差異が出たのではないかとも言われております。
 ちなみに、政府見解は「阻止する」です。


 アンケートの結果については、賛成・反対両派とも、「賛成が多数を占めた」「反対が多数を占めた」と大見出しが掲載される事になりました。これは世論調査が自社の主張どおりになったと宣伝したとも言えるのではないでしょうか。


 インターネットは虚々実々の情報が氾濫しているため、何が正しいかを自分で判断するためには、一次ソースを確認したり、賛否両論を聞くといったメディアリテラシーが求められると言います。


 大手メディアはそういう点でインターネットをよく批判しますが、今回のこの世論調査を見ると、新聞の世論調査を見るのにもメディアリテラシーが必要な時代に入ったと改めて感じました。


 大手メディアがこのままの姿勢を続ければ、インターネットが普及した今の時代、設問次第で結果が大きく変わる世論調査を見出しだけ見て判断するのは、メディアリテラシーに欠ける行為だというのが常識になるかもしれません。
 そもそも、調査結果自体が正しいのかという疑いも出てくる可能性すらあります。
それは新聞自身の首を絞める行為ではないでしょうか。


 特に、政治や経済分野の言論については、国民一人一人がメディアリテラシーというものを意識すべきだと思います。(勿論、私のブログも含めての話です。)


 現在、インターネットが普及して、一次情報にもアクセスしやすくなり、マスメディアだけが情報を解釈する時代でなくなったのは、大きな進歩だと思います。

 国民がマスメディアの出す情報以外にアクセスが難しい場合は、国民がマスメディアの情報解釈以外の解釈が成立しにくくなります。その時、マスメディアが公平な報道をしていなければ、国民は間違った方向に簡単に誘導されてしまうのです。

 例えば、日本が先の大戦で敗戦国になった事もそれが大きな要因だと思います。


 国家の司法・立法・行政という三権は互いにチェックされ、マスメディアからもチェックされますが、それを超える最大の権力は誰からもチェックされないメディアであり、第四の権力だとよく言われます。

 民主主義国家でマスメディアをチェックし、反対意見を表明するのは国民の役割です。

 インターネットによってその役割が果たしやすくなった今、大手メディアだからと言って鵜呑みにせず、自分で考える事が重要だと思います。


 言論の自由というのは、自分の言論が他者のより説得力のある言論に淘汰される事も認めるものでなければなりません。

 根拠さえあれば、そこに、マスメディアだ、一個人だと言った肩書きは関係ありません。

 

 社会の公器と言われる新聞記者の役割は誰しも認める所だと思いますが、そもそも、新聞記者自体は国民から選ばれた訳でも何でもありません。

 マスメディアには公平公正な報道、言論の正当さによって自己の存在意義を証明をしていただきたいものです。


 ともあれ、行政でもアンケートを取る事がありますが、設問はできる限り公平にしなければならないなと反面教師として再認識したニュースでした。