東海道53次と富岳36景 | 都の西北 / 山梨 / 甲府 / 愛宕山からチトフナ(世田谷)に!

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2004年12月に山梨県に移住,15年を過ごした後に
2020年3月に世田谷に引っ越しました!

東海道53次と富岳36


 

 

最近,浮世絵の趣味が復活してきました.

 → コロナ禍での暇つぶしで,過去が再燃した印象です?

 

よく言われる話しに,北斎画と広重画の比較があり,

どちらがどうか? みたいなことが囁かれます.ありますよね?

 

葛飾 北斎(かつしか ほくさい)

宝暦10923日〈17601031日〉?

   ~ 嘉永2418日〈1849510日〉89歳没

 

北斎画では,この 『逆さ富士』の描写が素晴らしいと思っています.

水目に映る富士は点対称であり(本来は線対称のはず),

水面の富士には積雪があります.

現実の富士を描いたのではないことが分かります.

この描き方のセンスが素晴らしですよね!


 

 

歌川 広重(うたがわ ひろしげ)

→ 中学の社会科授業では 安藤広重 と習いましたが,

  それは正しくないと後に今のような名前に変わっています.

寛政9年(1797年)

~ 安政596日(18581012日)61歳没

 

北斎と広重は同じ時代を生きてはいますが,

広重は北斎より37歳も若く,父と子ほどの年齢差があります.

広重は北斎没後の9年後に亡くなっているので,

当時としては長生きの方ですが,北斎よりも人生は28年も短く,

それが故に作品としては北斎画の方が圧倒的に多い?

なのでやっぱり北斎の方が有名なんでしょうか?

 

歴史的に見ると二人の年齢差は分からなくなります.

いわゆる昔の偉人であると言う事実,

徳川15代将軍が横並びに教科書に書かれるみたいなイメージです.

 

なんとなく北斎の方が年上,そんな印象は北斎晩年の老け顔が

歴史上のトレードマークになっているからだと思います.

 

さて,広重の東海道53次は京都と日本橋の間の53の宿場街に加え,

京都と日本橋があるので55画になります.

 

対して,北斎の富岳36景は46画も描かれており,

その理由は,当時の北斎画が爆発的に売れていたので,

それほどまでに売れているものをあえて36画で終える必要は無かろう?

と,46画まで描かれたと言われています.事の真意は分かりません.

 

さて,二人が描いた同じ場所を比べてみると,

描かれているポイントや描き方が異なっていることが分かります.

これで導かれる情緒感も大きく変化しますね.

 

日本橋を比べてみると

どちらの画にも味がありますが,同じ場所であることは,

知っている今だからわかるんですね!

だいぶんと雰囲気が違いますね.