東海道53次と富岳36景
最近,浮世絵の趣味が復活してきました.
→ コロナ禍での暇つぶしで,過去が再燃した印象です?
よく言われる話しに,北斎画と広重画の比較があり,
どちらがどうか? みたいなことが囁かれます.ありますよね?
葛飾 北斎(かつしか ほくさい)
宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉?
~ 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉89歳没
北斎画では,この 『逆さ富士』の描写が素晴らしいと思っています.
水目に映る富士は点対称であり(本来は線対称のはず),
水面の富士には積雪があります.
現実の富士を描いたのではないことが分かります.
この描き方のセンスが素晴らしですよね!
歌川 広重(うたがわ ひろしげ)
→ 中学の社会科授業では 安藤広重 と習いましたが,
それは正しくないと後に今のような名前に変わっています.
寛政9年(1797年)
~ 安政5年9月6日(1858年10月12日)61歳没
北斎と広重は同じ時代を生きてはいますが,
広重は北斎より37歳も若く,父と子ほどの年齢差があります.
広重は北斎没後の9年後に亡くなっているので,
当時としては長生きの方ですが,北斎よりも人生は28年も短く,
それが故に作品としては北斎画の方が圧倒的に多い?
なのでやっぱり北斎の方が有名なんでしょうか?
歴史的に見ると二人の年齢差は分からなくなります.
いわゆる昔の偉人であると言う事実,
徳川15代将軍が横並びに教科書に書かれるみたいなイメージです.
なんとなく北斎の方が年上,そんな印象は北斎晩年の老け顔が
歴史上のトレードマークになっているからだと思います.
さて,広重の東海道53次は京都と日本橋の間の53の宿場街に加え,
京都と日本橋があるので55画になります.
対して,北斎の富岳36景は46画も描かれており,
その理由は,当時の北斎画が爆発的に売れていたので,
それほどまでに売れているものをあえて36画で終える必要は無かろう?
と,46画まで描かれたと言われています.事の真意は分かりません.
さて,二人が描いた同じ場所を比べてみると,
描かれているポイントや描き方が異なっていることが分かります.
これで導かれる情緒感も大きく変化しますね.
日本橋を比べてみると
どちらの画にも味がありますが,同じ場所であることは,
知っている今だからわかるんですね!