ハラスメント国家だった日本 | 都の西北 / 山梨 / 甲府 / 愛宕山からチトフナ(世田谷)に!

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2004年12月に山梨県に移住,15年を過ごした後に
2020年3月に世田谷に引っ越しました!

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ハラスメント国家だった日本

今日(5/25)の日経新聞,暮らしのコラム『プロムナード』からです.

 批評家の東浩紀氏が 
  『ハラスメントと社会の変化』と題し,執筆されています.

 日本は長いあいだハラスメント国家だった.
   その負債が完全に解消されるには,
     まだまだ長い時間がかかるだろう.

コラムの筆者も述べられていますが,我々の世代は体罰当たり前,
小生も小学生の頃は毎日と言えるくらい先生に殴られていました.
特に小学校の5年~6年にかけて,転校した先の担任の先生3名が
暴力教師と言われていました.
 → 5年は運よく暴力教師のクラスではなかったのですが,
   6年生は暴力教師に遭遇,かなりやられた記憶があります.
   学校に出てこられない同級生も出てしまい,
   転校させられるほどでした.
   でも先生の責任は問われることはありませんでした.
   今でいう,泣き寝入り状態でしょうか?

殴ることを仕事にしていた印象で,何かと言えば『びんた』でした.
顔が腫れ上がるくらい殴られたこともありました.
 → 痛かったなぁ~
これに対して文句を言う親なんていませんでした.
親にもいちいち言わないけれど,
親が学校の教育方針に口出すなんてありえない....
 → 今の社会であれば,ありえないレベルかもしれません.

昨今の問題は,ハラスメント(セクハラ,パワハラ含む)と言う言葉が
世に出て来た1990年代後半からの時代の変化に対して,
社会の考え方が変わったことについていけていない人たちが,
過去の常識を引っ張っていることだと思います.
悪しき過去を容認できるのは,40代後半が限界のように思います.

 『昔はあたりまえのことだったのに』

個人の意識を変えていくことは現実的に難しく,
表面的には変わったふりはできますが,
自身が接する局面ごとには,正直な自分が出てしまうものです.
社会の変化はマクロ,個人の変化はミクロであり,
その変化にはギャップがあると理解しています.

ギャップを埋められないゾーンが存在するように思います.
特に,日大の問題では,60代の監督と20歳の選手では
そもそもの考え方も違うし,生きてきた時代の常識も異なります.
そこをどう考えるかでしょうか?
狛江市長のセクハラ辞任も類似していると思います.
働き方改革のベースも,その点から考えると,
なんとなく繋がるように感じています.

若い人達に併せて,我々中年世代の考え方を
柔軟に変えていく局面も必要だと言うことでしょうか?
これが変化に追従すると言うことだと思います.