(アキ ロバーツ, 竹内洋 著 /朝日新書)
日本とは異なる米国大学の諸制度を紹介しています。
テニュア制度(日本より厳しい大学教授の終身雇用)
アカデミックカップルの救済(配偶者雇用)
スポーツが大学の収益源になり、コスト増にも繋がっていること
ファイナンシャルエイド(財政補助)
ホリスティック入試(学力以外の学生個人の人物像も評価)
→ AO入試の概念に近いが、米国では学力の高いアジア系を排他し、
白人を優遇するためにできた制度でもある。
→ 白人支配階級の再生産のために作られた!
ファーマティブ・アクション(社会的不平等をなくす措置)
→ マイノリティー人種や女性の大学進学を促進、アジア系人種には適用されない。
本書の最も重要な論点は、
第6章における『アメリカを鏡に日本の大学を考える』で述べられている、
米国教育の日本への横展が本当に正しいのかの再考だと思います。
特にAO・多面・総合入試は要一考ではないかと警笛を鳴らしています。
AO入試の原点といえる米国におけるホリスティック入試は、
学力編従試験による入試だと学力の高いアジア系ユダヤ系学生の
比率が上がってしまうので、白人に対する支援策として
導入された経緯があるとのことです。日本の場合は全く異なり、
身分階層を飛び越えて学力による学歴が属性的地位を構築することに対して、
これへの追従ができない学歴ノンエントリー層への
ファーマティブ・アクションになっているとの指摘は
非常に斬新な事実として受け入れることができます。
教師が望む人間像に合致した者が選ばれ、
秘められた才能を持つ沈思黙考型が排除されないかへの危機感
日本には日本の文化に基づくこれまでの制度が、歴史的背景の中で構築されてきており、
単純に米国の教育制度を横展開すればいいというものではないということです。
その典型的な失敗が法科大学院制度、
法曹界にかかわるニーズが米国のように多くないことを加味せず、
単に司法従事する人の数だけを増やしても仕事に就けない人が増えるだけで、
制度的には破たんする終焉を迎えつつあります。
国内におけるポスドク増員計画も同じような話です。
日本には向いていない制度を押しつけることは、
不幸な人を作るだけの制度になってしまうということです。
では、AO入試はどうかというと、必ずしも悪いというのではなく、
歴史的・文化的背景と国の特徴を
十分に考慮した制度にする必要があるということです。
本書を読んでの率直な感想は、世界最高水準の教育制度を構築した米国にも弱みがあり、
この分析をせずして、ただ単に日本に米国教育を横展開することは安易にやってはいけない、
特に教育は人の根幹を作る大切な部分なので、より一層の慎重さをもってその適用の是非を
考えなければならないと感じました。