たなばたもろもろ 2 | おやじのたわごと

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タイトル通りの『たわごと』です。

七夕というもの。

は、元々は中国から来た『乞巧奠(きっこうでん)』という行事だった。
陰暦七月七日にお供え物をして、牽牛・織女を祀る行事で、女子が手芸が巧みになることを祈る行事だった。
その中国の風習が日本に伝わり、奈良時代頃から宮中の儀式となった。
が、年月を重ねるごとに、おそらくは恣意的に変えられていった。


くもり


つまりは『七夕流し』である。

七夕祭りの本質は、竹や短冊を飾って願い事をして、それが終ったら川や海にながして… ということではなく、人形-形代を流すというところにある。

実際に、長野県安曇地方では、木っ端で拵えた男女の人形に着物を被せ、それを背中合わせにして藁舟に乗せて、しかもそれに火をつけて流すという。新潟県糸魚川地方では、織姫・彦星を表す人形2体を吊るし、それから後に川に流した。

つまり七夕の行事は、織姫や彦星に自分たちの罪や穢れを背負ってもらい、常世の国(黄泉の国)に運びさってもらうための『祓え』の行事である。


川1


『日本書記』垂仁天皇七年七月七日の条にある。
当麻邑(たぎまのむら)に当麻蹶速(たぎまのけはや)という剛力無双の男がいるという話を聞かされた天皇は、彼と力比べができる人間はいないかと尋ね、出雲国(いずものくに)から野見宿禰(のみのすくね)という勇士を呼び寄せ、二人で決闘させた。結果、野見宿禰が当麻蹶速を蹴殺した。

これが相撲の起源となったわけである。

が、この決闘の日は、たまたま七月七日だったのか? 

当たり前に違う。

垂仁天皇他朝廷の人々は、わざわざこの日を選んだはずである。というのも、当時から七月七日は、穢れや災いをあの世へ送る日だと考えられていたからだ。だからこそ、現在まで『眠り流し』『ねぶた祭』『竿燈祭』など、いわゆる『流す』行事が執り行われてきている。

江戸時代まで行われていた私刑に、罪を得たと思われる人間を簀巻き(すまき)にして川に流すという残酷なものがあった。この私刑に関しては様々な説がある。あくまでも殺害目的ではなく、その人間を非常に苦しませるために行われたのだとか、あるいは、殺害した後に簀巻きにして川や寺などに放り込むことによって、これは人間ではなく犬畜生だというアピールしたのだとか…

が、全てに共通しているのは、その人間を穢らわしいモノとして『流す』という思考である。

これが、日本の七夕の起源であろう。


川2


『笹』は『竹』であり『筒』である。
『筒』はそのまま『星』であり、七夕の夜に現れてほしい蜘蛛は『ササカネ=砂々・金』であり『金星』のことでもあり、これはそのまま『金神(こんじん)』となり『素戔嗚尊(すさのおのみこと)』を象徴している。

さらに素戔嗚尊は、疫病を取り去る『牛頭天王(ごずてんのう)』と同一神とされている。

つまりは、素戔嗚尊が牽牛であり、彦星なのだ。

素戔嗚尊が辿った運命を振り返る。
と、彼は八百万(やおよろず)の神々から、穢れ神の烙印を捺され、神逐い(かみやらい)にかけられた。手足の爪を剥がされ、髭を抜き取られ、そして簑笠姿で流された… これが、簀巻きの起源である。
さらに牽牛-牛に関していえば、七夕行事の中には、この日に牛を引き出して水辺で洗い清めてやることも含まれる。この場合の牛は、いうまでもなく『牛頭天王』である。

素戔嗚尊は、蘇我氏の祖神であり鉄を押えていた大豪族だったからこそ、当時の朝廷から激しく敵視され、結局は殺害されてしまった。後、朝廷に仇なす大怨霊として恐れられる存在となったのだ。


一本道


七夕と鉄。

関連を示すのは『笹』だけではない。
乞巧奠を執り行う人々は、必ず『梶の葉』を飾る。

 …何故?

便せん代わりというのは論外。
『梶』が、舟の『楫(かじ)』に通じるから、彦星が天の河を無事に渡れるように云々というのは後付けの理屈。

『梶』は、『鍛冶(かじ)』に他ならない。
鍛冶といえば、タタラ場において砂鉄から鉄を精製する人々を大鍛冶、その鉄で刀剣を鍛える人々を小鍛冶と称した。能にも『小鍛冶』という演目がある。『かじ』という名称は、かつて『かぬち』といわれたように『金打』が本字であり、鍛冶は当て字だとされている。
ちなみに『かじ』『かんち』という呼び方は、青森・秋田などの方言では跛行(はこう)を指す。タタラ鍛冶の職業病が足萎え(あしなえ)だったからだ。というのも、炉に空気を送り込む役割を担っていた『番子(ばんこ)』と呼ばれた人々は、送風装置であるタタラを延々と踏んでいなければならなかったからだ。

ちなみに、交代交代でタタラを踏むことを『代わり番子』という。

であるから、七夕では『砂鉄』である『笹』と、『鍛冶』である『梶』を飾るのだ。



いっぽん



牽牛である彦星が、鉄を制していた素戔嗚尊であったために、七夕には『流す』という習慣に結びついた。

が、その頃に降る雨を『七夕流し』とも呼ぶように、流すという行為や言葉には、もう一つ重要な意味がある。


 子どもを流す… 


つまり、子孫を根絶やしにするという意味である。



 つづく…