この子の曾祖父の家は整体医院だったようで、当時の文献なんかを見せてくれた。今日持って来てくれたこの本は、能の“卒塔婆小町”の唄の本で、戦争が終わった後の昭和23年版だった。
『卒塔婆小町あらすじ』
高野山の僧が都に上る途中、卒塔婆に腰かけている乞食の老婆に会った。僧は「卒塔婆は仏をかたどったものだ」と言って、追い払おうとした。するとこの老婆は「体は朽ちた木のようだが、心の花はまだある。この世は元は無で、仏もこの老婆も変わりない」と言ったので、僧は感心した。
僧が老婆に名を尋ねると、「小野小町の成れの果てだ」と言って、我が身を恥じた老婆=小町は笠に身を隠した。美貌を誇った昔を懐かしみながら物乞いをする有様を語るうちに、その昔、小町に恋をした深草少将(四位の少将)の怨霊が憑いて錯乱状態になった。
小町に恋のとりこになった深草少将は、小町に「百夜通えば願いをかないよう」と言われ、人目を忍んで通ったが九十九夜目に死んでしまった。この小町への恋を成就できなかった深草少将の怨念がこの世に残り、老いた小町を苦しめているのだった。
錯乱した小町が醒めると、死後の極楽成仏を願うことこそ人の道だと悟り、仏の道に生きることを志すのであった。
小野小町は平安時代の歌人で、六歌仙、三十六歌仙の一人。今も昔も美人と語り継がれ、町やお店の看板娘のことを「〇〇小町」と呼ぶ習慣があるほどだ。
だがそこは女性だから、本当の詳しいことは分からないようだ。晩年は秋田にいたとか、京都の山科にいたとか言われているが定かではない。
若いころの超美人で才媛の誉れ高い小町が、老婆となって朽ち果てていくそのギャップは、まさに仏教の無常を体現しているといっていいのだろうね。
残念ながらミスターさん、偉そうに解説謎してしまったけど、この「卒塔婆小町」の話は知ったけど、実際に能舞台を観たことがない。
さらに、この本の続き字が読めなかった。薄っぺらい知識しか持ち合わせていないんだ。
この間からFacebookで古文書の勉強サイトを見てるけど、勉強してる人はけっこうたくさんいんだよね。コメントを書く知識なんてないからただアップされた記事を読むだけだけど、いつかは「この文書はこう読む、、、」なんて説明できるようになりたいものだ、、、とちょっと思っている。
国道8号線沿いにあった御経塚イオン跡です。デッカイ建物がなくなったら、こんなに見晴らしが良くなってた。ここに毎日何百何千人もの人が通ってたんだなと思うと、まさに世の無常を感じたね。
ところでこの跡地、一体何が出来るんだろうかね。
↓ランキングに参加してます。励みになるので下をポチッとクリックお願いしますね。