上海とりあえず最初の8カ月 | ボンジュールとの生活 in 上海

ボンジュールとの生活 in 上海

アメリカ、ミルウォーキーからフランスのリヨンで駐在生活始まりました。

火星人のようにしばしば理解不能なフランス人の夫と、1男1女から、40歳でまさかの3人目出産。娘の脱毛症と戦いながら、3人の子育て、節約、ミニDYIを楽しんでいます。

なんとか学校が終わり、フランス、リヨンへ母子だけで来ています。デビットは上海のに1人残り仕事。きっと邪魔が入らず心おきなく仕事ができて喜んでるんじゃないか?と思ってます。



色々ありましたが、子供達は結果的に、楽しく学期末を迎えられたようで、本当に良かったです。桜はクラスメイトが全員中国系で、皆んな中国語を話すので友達ができなくって悩んでいたので、学校に頼んでクラスを変えてもらいました。それ以来メキメキ自前のユーモアで友達を作り、最後は家に寄り付かない程友達との時間を楽しんでました。


仲良し3人。お友達のご両親が経営するリゾートホテルにご招待されて来たラッキーな桜。


エマも最初は共産圏の国に住むのは嫌だ、制服が嫌だ、などなど色々文句を言ってましたが、ラグビー部に入り、何を思ったか友達に誘われてミュージカルまで参加して、学期末にミュージカル「リーガリーブロンド」出演。クラブを通して友達も沢山できたようで、学校が終わった日、「学校終わって意外にそんなに嬉しく無かった」なんとも複雑なコメントを残してくれました😂学業も頑張ってくれて、進歩が見られて嬉しかったです。



コンちゃんは持ち前の明るさと、ハッピーで社交好きなな気質のおかげで友達はあっという間にできて、なんの問題も無かったんですが、お勉強が😓リヨンにいた時学業が問題だった事なんて無かったのに、学校行き始めて1カ月位で担任の先生から、ちょっと学業に不安があります、と連絡が😱

コンちゃんはリヨンでは幼稚園年長さんを終え、普通だったら9月から1年生、5月生まれなので、日本だったら9月の時点ではでまだ年長さんなのに、中国来たらいきなり2年生。中国は1年生始まるのが1年早い様です。算数は特に全然ついていけず先生から家庭教師を勧められたもの、小学校1年生の算数の家庭教師の時給の平均が1万4千円と聞き、冗談じゃない、と私が毎日1時間ほどスバルタ家庭教師しました。学期末にはなんとか先生に見事に進歩したね、と褒めて貰い、ホッとしました。


制服来てると変な顔でもお利口さんに見える。


デビッドは、(エマも)中国来てしばらくは下痢に悩まされました🤣運転手さんにトイレに泊まって欲しいのに「トイレ」と言う言葉が通じなく、Google訳使ったり、緊急で入ったトイレで紙がなく、ポケットに入っていたティッシュ2枚で対処したり、あんまり話すと怒るのでこの辺で。でも普段からあまり刺激の強い食事が好きでないデビッド。会社の社食の料理がニンニク🧄やネギや油ぎった料理が多すぎて、この前味噌汁にネギ入れて出したら、ネギ入ってたら臭くて食べれない。ニンニクとネギの臭いでPTSDなりそう、なんて大袈裟な事を言っていました。お弁当作るよ、ってオファーしたんですが、それもなんかイヤらしいから、頑張って食べる、と、まだ続いています。


後は私でさえ文化の違いに苦労してるのに、デビッドにとってはもっと異文化。(私はやっぱり漢字が読めるのでかなり助かってます)。仕事で中国人の部下や同僚とのやりとりも楽じゃなさそうだし、仕事のやり方や営業の仕方なんかもお国柄、強い個性があって、それを国際的に通用するやり方に変えなくてはいけなかったり、聞いていて大変そうですね。



デビッドの会社のファミリーデー



私も友達作り苦労しました。現在のアパートには外国人が誰も居なく(あ、1人ロシア人と韓国人のハーフって方に会いました)、近所もレストランやお店がひしめき合っている繁華街なのに売ってるものと言ったら、カエルの串焼き、鴨の頭、舌に腸、豚の腸の鍋、鴨血が浮いたラーメン、などなど強烈にローカル中国なものが多く、もちろん外国人見かける事まず無いし、英語話してる人も見かけた事ないです。近所で友達作る事はまず無理。なんとか学校通じて知り合いになった外国人ママ達と社交するものの、なんかクリックしない。





ある日デビッドにワインとフードペアリングのイベントあるけど、僕は仕事で行けないから友達誘って行って来たら?と言ってもらったのに、考えてみたら誘える友達が殆ど居なくて、私誰も誘う人が居ないーえーんえーんえーんって号泣してしまいました。結局割と気の合う韓国人の子が一緒に行ってくれて、それ以来仲良くなれて嬉しかったですラブ



その後も頑張ってフラワーアレンジメントのクラスに行ってみたり、バー(バレエエクササイズ)のクラスに行ってみたり、学校のママさん会に参加したり、学校の日本人保護者会に参加したり、婚活でもする様に、とりあえず友達作りに励みました。


努力の甲斐?もあり何人か楽しくワイン飲んだり、食事が出来るお友達ができました!


交流関係と学校はなんとかうまく回って来ましたが、いつまで立っても好きになれないのが現在の住まい。


見た目はめちゃくちゃ綺麗です。


前にも書きましたが、2階のバスルームが臭い。何回修理に来ても治らない。なんとも説明できない臭さです。なので結局誰も使えない。

屋上にお花をいっぱい植えてとっても素敵なテラスを作りました。



素敵でしょ?なのに、この私達のプライベートなテラスの横にこのアパート全員分の「臭突扇」と言う昔のボットんトイレの上についてたクルクル回る物の大きい版があって、テラスで優雅な時を過ごしていると風向きによって公衆トイレのような臭いがぷ〜んと漂ってくる😰


まだまだあります。


数ヶ月前、私一回エレベーターに閉じ込められました。我が家は15階、タクシー呼んで下に降りようと思ったらいきなり12階でエレベーターがガクンと止まる。インターフォンで助けてーーー、と訴えるものの帰ってくるのは中国語、エレベーターの中はインターネット通じないので翻訳アプリも使えず、なんて言ってるか全然分かんない。このまま止まってるのか、いきなりがーーーって落ちるのか分からず心臓ドキドキ。床汚いので座りたくないし、万が一落下した時様に壁に張り付いて助けを待ち、45分後にようやく助け出してもらいました。当たり前だけどしばらくエレベーター乗るの怖かったです。それからも更に数回故障して使用不可能になっていたエレベーター。子供達が1人で乗る事もあるし、かなり嫌。


極め付けは水漏れです。上海が梅雨に入り雨がよく降りました。ある日ふと気がつくと天井に雨漏りが。




最初はこれだけだったんですが、ちょっとずつペンキが剥がれ、中のドライウォールも水を吸って崩壊し



2日後にはこの事態です。


この雨漏り、排水溝に溜まったゴミが原因で水が溢れ我が家の2階部分から1階の天井までダメージを受けてしまったようです。


今までこのアパート、私が文句言っても散々庇っていたデビッドも、流石にこりゃ無理だ。新しいアパート探そう、と納得してくれました。


この豪雨の後梅雨が明けた上海、毎日猛暑です。私はもうフランス来てたけど、デビッド曰く既に黴が育っているそうですガーンバイオハザードだし!今度は黴避けの為にエアコンを家中でつけたらヒューズが飛んだって。ここまで来るとジョークのようです。



と言うわけで、上海帰ったらとりあえず家探しです。今度は前回の数々の失敗を元に安心して、嬉しくなるように住居を探したいです。