あれから、、、

息することを楽に出来ない感じ、、、

あれから、、、

夢のような世界でもあり、、

そんな感じ、、、

表面はそんな感じ、、、。


愛する息子が亡くなってから、
そんな感じ、、。

そして、当然
ど真ん中は、毎日生きるというだけでも
ほんときつかったなあ、、
そんな中、いくつもイベントを
こなしていた自分をまず褒めたいです。


毎日毎日、、、
泣かない日はありません。
しかし、皆様の前で立っていた。
涙ぐむこともありましたが
なんとかこなしていました。

仕事というものが、
いまさらながら
生きるための栄養だと
これほどまでに偉大なものかと思いました。


死ぬ事と、生きること。


14年前の息子の誕生と同時に
私に与えられたテーマ。


あれから、
死ぬとは?
あの世とは?
あるとかないとかいうレベルでなくて、、

そして、
生きるとは?

散々読みあさりました。
そして、
さんざんひたすら自分に聞いたり、
あの世の息子に聞いてみたりした。

心安まる努力を散々した!!!
が!
そんなことをしたところで、
結局息子じょうじはいない!
じょうじにもう会えないという辛さが
襲う。

いろいろと世界見聞を広くしようと
さんざん努力もした、、
しかし、だからといって息子じょうじには
会えない!

これは、夢だとあの時は
本気で思っていた。
そして、
半年以上経った今も、
毎朝これは夢だと思っています。

寝たらみるのが夢だろうが、、
起きている方が夢の世界に変わりました。


毎日のリアル世界のこれが夢なんだ。
人と話してるがこちらは夢なんだ。
生活し、息子じょうじがいない世界
これは、夢だ!!


夢なんだから!!

これは夢なんだから!!

もう、夢から覚めるのを待つだけかあ、、。





自分が死ぬ時まで、
毎日が夢の世界であり、
これは、賢く生きるゲームだと
自分にさんざん言い聞かせるように
なった。


毎日がふわふわとした世界になり、
死後の世界も、
死への捉え方も、
あの世との繋がりも、、
さんざん取り掛かってみた。
やはり親としてこちらで何かしら
してあげられることがあるはず!
息子の力にとにかくなりたい!!


そして、
そして、
そうこうして、
少しだけこういう所に来た。

死後の世界があろうがなかろうが、、


全く同じ人、人生がないのと同じで、
全ての死もそれぞれかあ、、
全ての死の世界もそれぞれ。

読んだり。聞いたり、学んだり、
常識だと言われるもの
すべては洗脳でしかない、、、




私があの時、息子の息がなくなっていく
時感じたことを大切にしたいと思うように
なりました。



ああ、あちらが、天国!!
じょうじが幸せになるんだ!!
じょうじありがとう。
なんて凄い男の子だったのだろう、、
私にどれだけ幸せをくれたことか、、



今日は、8回目の月命日。

8カ月も、、、
もう会ってないなんて、、、、



コロナが蔓延し、世界的に
恐怖不安な中、、
この約2カ月程で、
多くの方々が生きること、死ぬことを考えるようになったことだろう。
人ごとではない、と。


ただ、私の場合、
皆さまより約半年ほど前からだったり、
14年前から危機迫ったかのように
取り組んできていましたから
人よりやることが遅いし、
危機迫るのがいきなりだと
ついていけないであろう私には、、
全く良くできたタイミングだなあ、、
とさえ思えて仕方がない。



人生いったい何が起こるか、、

これは、夢だ!!
ドラマなんだから、大丈夫!!



そして、何があろうとも、、、

死も、生きることも、
全てを前向きに捉えることしかない。
しかし、
この前向きに人はなかなか捉えられないから
悩みになり、苦しくなるのよね、、

いかに
それを良く捉えられるか、、

いかにこちらの都合よく捉えるかの
ゲームだとつくづく思う。


その為には、
自分で、自分によし!
どんな自分であれ、
どんな事にもよし!!
そして、
死はただ通過点にすぎず、
生きることも、死ぬことも
そのままの自分でしかない。

死んだからといって、いきなり
神さまのようになるわけがない!
(ただ息子じょうじは生きている時から
神さまのようだったなあ、、)

今のこのままの自分で、
この世の次の日だろうと、
あの世の次の日だろうと、
ただ
次にこの自分のまま向かうしかないようで、、

であるならば、、
心には愛を。
心には感謝を。
心から笑顔だなあ、、、



まだまだ、、




伊寿美