丸市オヤジの春夏秋冬

丸市オヤジの春夏秋冬

伊豆大島の「丸市釣魚具店」を営むオヤジが綴る伊豆大島と磯釣りの日記



2023.10.16 春 夏 秋 冬 

<被災から10年です> 


①10年前の山肌


悪夢のような土砂災害から10年が経ちました。お亡くなりになった方々に哀悼の意を表すとともに、ご遺族の方々にお見舞いを申し上げます。 

あれから10年。被災地はメモリアル公園として整備され、沢の拡張工事も行われ町はすっかり様変わりしました。計画通りに沢沿いに植樹が進めば、さらに街の様子は変わっていくことでしょう。あたかも被災などなかったかのように。それが10年という歳月がもたらした現実なんだと思います。 

事実、大島で土砂災害があったことをご存知ないお客さんも増えてきています。それは良いことなのかもしれません。たぶん、良いことなんでしょう。 

しかし、被災した身にとっては割り切れないもどかしい気持ちが残ります。それが偽らざる正直な気持ちです。なぜ、こうした気持ちになってしまうのか。自分なりに考えてみました。出てきた答えは、自然災害が当たり前のように引き起こされ、そのたびに気持ちがざわつくからなんだということです。 

そうした思いになるのは、災害列島であるにもかかわらず、災害への備えが不十分だったことを発災のたびに見せつけられてしまうこと。さらに、災害後の対応が不十分なことを見せつけられる現実があるからなんだと思います。被災者の苦悩がわがことのように想像できてしまうからにほかなりません。 

災害は国内だけでなく、世界各地で引き起こされています。ハワイ・マウイ島での火災。地球温暖化が原因とされる森林火災も各地で起こっています。リビアでの大洪水。そして地震。モロッコやアフガニスタンで大地震が起きています。これらの自然災害などによって、おびただしい犠牲者がうまれていることは言うまでもありません。それだけでなく、今現在も苦しんでいる数えきれないほどの被災者がいるということも。 

国内では直近に、鳥島近海での地震によって津波が伊豆諸島を中心に各地で観測されました。いつも感じることですが、もはや自然災害は非日常ではなく日常の出来事だといっても過言ではないのではないでしょうか。そして、政治のまずさによって二次災害というほかない現実が被災者に追い打ちをかけている現実が存在していると感じます。 



<いまこそ災害対策が必要なのでは> 

②現在の山肌



改めて感じています。被災者への手当てを中心とする災害対策こそ政治がなすべき課題だと。しかし、現実の政治を見るにつけ絶望的な気持ちになります。 

岸田さんは、ただただ長く首相の地位に留まりたい。そのためなら、国民が反対しようが困ろうがどうでもいい。とにかく自分が長く首相の地位に留まれるための政治をするだけ。私にはそう見えてしまいます。政治的見識も能力もない息子を秘書官にしたことに典型的に示されるように、岸田さんによる政治の私物化といえるでしょう。そのあげく、息子を首にせざるを得なかった顛末はお話になりません。 

軟弱地盤が明らかになって基地建設が危ぶまれているにもかかわらず、またそもそも基地建設に反対する県民を無視して建設工事を進める岸田さん。 
風評被害を懸念する漁民の声を無視して原発の処理水を海洋放出している岸田さん。漁師を辞めろと言ってるに等しい行為としか思えません。 
「原子力発電をすべてやめて、福島第一原発の廃炉を進めるためだ」というならまだしも、やめるどころか原発の新設まで進める岸田さん。これ以上核のゴミを増やしてどうするというのでしょう。言語道断といえる所業ではないでしょうか。 

いったい、こんな政治のどこに「明日は今日よりも良くなる」希望があるというのでしょうか。岸田さんが進めている政治は、それとは真逆の政治ではないでしょうか。そして驚くしかないのは、岸田さんにはそうした“自覚がまったくないように見える”ことです。本当に恐ろしいことではないでしょうか。 

さらに私が恐ろしいと感じたのは、関東大震災から100年を迎えるにあたっての記者会見での松野官房長官の発言です。関東大震災時、流言飛語によって多くの朝鮮人(朝鮮人だけではなく中国人や日本人も虐殺されている)が虐殺された事件について問われた彼は、概要こんな風に答えたのでした。 

いわく「政府として調査した限り政府内において事実関係を把握することのできる記録がみあたらない」 

これこそ、「あったことを無かったことにする」典型です。こういうのを“歴史修正主義”というのではないでしょうか。彼の言う政府内とは、どの範囲のことを言うのでしょうか。私にはさっぱりわかりません。しかし、彼にその気があれば国会図書館で史料を探せば、朝鮮人虐殺の事実を見つけるのは簡単なことではないでしょうか。 

彼は、“自分の眼鏡のことしか頭にないのではないか”と私には思えます。彼には、眼鏡屋さんに行く時間はあっても、歴史的事実に向き合う時間はないのかもしれません。記者会見のたびに違う眼鏡をかけていた松野官房長官。一体、いくつ眼鏡を持っているのか知りませんが、庶民の金銭感覚から大きくずれていることは確かなことではないでしょうか。 

私から言わせれば、あったことをなかったことにする、こうした発言こそ“流言飛語”そのものだと思います。こんな政府の下、起きる確率が高いといわれている南海トラフ地震がもしも起きたとしたら、、、。想像するだけで空恐ろしくなるのは、果たして私だけでしょうか。 

「あったことをなかったことにする」そんな政治家ばかりです。とりわけ、細田元衆議院議長や萩生田政調会長をはじめとした統一教会との関係について“しらをきる”政治家のなんと多いことか。そして、その多くは統一教会の信者による選挙活動の協力がなければ、当選することが危うい人たちです。 
統一教会とのずぶズブの関係を本当に断ち切ったのかどうか。次の選挙を注視していく必要があるのではないでしょうか。 

「あったことをなかったことにする」こんな政治を許していたら、関東大震災級の災害が今後起きてしまえば、それこそ日本は立ち直れないほどのダメージを受けてしまうはずです 
。 

以前にも引用したドラマのセリフです。「あったことをなかったことにする。そんな大人の姿を見せられたら子どもは石を投げるしかないですよ。」 
このセリフの大人の姿を政治家の姿に。子どもを国民に変えてみたとき、私たちがするべきことはなんなのか。もちろん、石を投げるわけにはいきません。被災から10年。国民のためとは真逆な政治の下で何をするべきなのか、厳しく問われている気がします。 

今日からまた新しい日々が始まります。 

③3年前の工事中の沢


④現在の沢の様子


⑤今年の夏になぜか多くみられたキツネの「嫁入り」

 

2023.7.21 春 夏 秋 冬 

<一か月半ぶりの更新です> 




一か月半ぶりの更新です。言い訳をさせてください。起きてほしくないことは重なるもので、まずはパソコンが拗ねてしまいメールの送受信ができなくなってしまいました。そのため、前回6月5日の釣行以降2回の釣行をしていたのですが、ブログの更新ができずにいました。 

また、パソコンの機嫌が直らないなか、今度は車庫のシャッターが故障してしまい、手動で開け閉めをしなければならなくなってしまいました。その過程で、恥ずかしいことに私がシャッターの蛇腹に指を挟んでしまって負傷。釣りに行くこともできなくなってしまいました。はぁ~。 

指を挟んだ瞬間の痛みったらそれはもう言葉にすることもできないぐらいのもので、完全に指がつぶれてしまったんじゃないかと感じたほどです。幸い骨折もなく、紫色に晴れ上がっただけで済みましたが、、、。 

以上のような問題が重なってブログの更新ができずにいたわけです。パソコンの機嫌も良くなり、指の傷も癒えてきたことによって7月18日(火)に釣行ができたわけです。 



<明るいうちはエサ盗りだらけで釣りにならず> 



明るいうちはエサ盗りだらけで、付けエサが30秒と持たないという状態でした。前二回の釣行からそれは変わりません。コマセを足下に撒いて寄ってくるのは、大半がオヤビッチャです。なかにコッパも交じりますが、ごく少数です。 


①オヤビッチャくん


たまにフィッシュイーターに追われている小魚がなぶらを見せたりしますが、すぐに落ち着いてしまいます。そんな状態の中、明るいうちに針掛したのはエサ盗りのオヤビッチャくんと40cmぐらいの細長いダツくんだけでした。たったの二尾だけでしたが、期待していなかったためか意外に楽しんでいる自分がいました。

②ダツくん


そんなこんなでマズメから夜釣りに突入。ウキの灯りをともしてから30分以上は何事もなく時間が流れました。期待のイサキくんは旬が過ぎてしまったのかと、何となく考えていた時にウキがそわそわし始めました。入れ!!と、心の中で叫んでいるとじんわりとウキが海中に沈みこんでいきました。 

すかさず合わせを入れると、抜群の手応え。奴さんとのやりとりを堪能しながら、何とか浮かせて正体を確かめようとヘッドライトをつけると、そうはさせじとばかりに猛烈な突っ込みを始めました。泡を喰ったのは私でした。手にしたタモを置くのも忘れたために、ややこしいやりとりをしてしまいました。 

途中、タモを置いてしっかりとした態勢でやりとりを再開して事なきを得ましたが、顔を見せてくれたのは思っていたよりも小型のオナガくんでした。37~8cmといったところでしょうか。それでも腹がしっかりと膨れている、立派な体形をしていました。


③オナガくん


ビビったのは、針をのんでいたのでハリスがざらざらになっていたことです。よく切れなかったものだと、ハリスに敬意を表したほどです。そして、釣り再開に向けて針を結びなおそうとして愕然としました。負傷した指が痛くて、針にハリスが結べないのです。情けなくて涙が出たほどです。 

しかたなくいつもの結び方をあきらめて、指が痛くならない結び方にして釣り再開です。 

話が飛びます。ハリスで思い出しましたが、デュエルさんから画期的なハリスが発売されました。魚から見えないハリスです。実験映像がまた衝撃的です。水槽の中に件のハリスを柱のようにして一本立ててあるのですが、魚がそのハリスの柱に気が付かずに正面衝突して、ビックリした様子で逃げていく姿がしっかり映し出されています。しかも、一尾だけではありません。魚種も違っているのです。 

ホントに魚にはこのハリスが見えていないようです。凄いことだと思います。釣りが大きく変わるかもしれません。それによって賛否両論、様々な意見が出てくるとは思いますが、ぜひ一度はこの映像を見ていただきたいと思います。そのうえで、各々が判断をしていただければと思います。

 

 

 


<コンスタントに中りが出るも、、、。> 



最初のオナガくんの後は、40cmを少し超えたクチブトくん、40cmには届かないササヨくん、そして30cmに届かないイサキくんとそこそこの釣果があり、楽しめました。特に、前二尾の引きは釣りの楽しさを堪能させてくれるものでした。

⑤クチブトくん


⑥イサキくん


⑦ササヨくん


そういえば、前々回の釣行でモンスターが掛かって、5分以上のやり取りをしました。本当に強烈な引きで、久々に膝が笑う感覚を味わいました。何度もダメかとあきらめかけましたが、何とか取り込むことができました。その正体を見てビックリでした。なんとサバくんだったのです。信じられませんでした。 


④前々回に釣り上げた50㎝近いサバくん

50cm近い魚体でしたが、サバくんらしくなくなかなか浮いてこないどころか、何度も突っ込みを見せたからです。確かに、これまで釣ったサバくんは40cmクラスのものばかりで、50cmクラスのサバくんは初めてでしたが、突っ込みを何度も繰り返すサバくんは彼?だけだったから驚いたのです。 

私のサバくんのイメージは、浮いてくるのは早く海面下もしくは海面上を暴れまわる魚というもので、鋭い突っ込みを入れるというイメージは全くなかったわけです。だからホントにあれだけの突っ込みを見せたのが信じられなかったのでした。 

また話が飛びました。前回の釣行に話を戻します。イサキくんを釣った後が、ストレスたまりまくりの状態になってしまいました。中りは出るんです。しかも、大物感漂う中りばかりです。しかし、乗らないんです。 

前アタリがあり、しっかりとウキが海中にじんわりと沈むんです。しかし、合わせを入れるとウキが飛び出してくるばかりです。言ってみれば10打数ノーヒットってな感じです。誘いを入れたりもしたんですが、打つ手がすべて外れました。 

最後のさいごにオジサンが顔を見せてくれましたが、謎は深まるばかりでした。ホントにストレスがたまり、後味がすっきりしない釣りとなってしまいました。 


⑧オジサンくん


⑨釣り終わりを迎えてくれたクワガタさん   


<没後50年> 



今でもはっきりと思い出すことができます。燃えよドラゴンを観終わったとき、しばらく席を立つことができず、一緒に観に行った友人に促されて我に返ったことを。と同時に、彼がこの世にもういないという事実を改めて突き付けられた寂寥感を。 

李小龍。ブルース・リー。どれだけ影響を受けたことか、自分でもはかり知ることができないほどです。燃えよドラゴンは、少なくても3回は映画館で観たはずです。その後に上映された彼の映画は言うまでもなく、彼に関する書籍も何冊も読みました。 

ヌンチャクも手作りしました。かなり後、土産物屋でプラスチック製のヌンチャクを見つけたときには迷わず買い求めました。真似事ぐらいには、ヌンチャクを振ることができます。 

彼のどこに魅かれたのでしょうか。ありきたりになってしまいますが、すべてだとしか言いようがありません。文句なしにカッコ良かったということです。その肉体。あの笑顔。すべてがカッコ良いとしか言いようがありません。「考えるな!感じろ!」「友よ、水になれ!」など、哲学的名言などもありますが、どちらかといえばそれらは後付けのものです。 

理屈抜きにカッコ良かった。自分もああなりたい!!憧れたとしか言いようがないんです。もちろん、なれるわけもなく、憧れただけで終わってしまったわけですが、、、。 

彼が亡くなって50年。映画を観返しています。彼が遺した映画は不滅でしょう。少なくとも、私が生きている限り忘れることはありません。 

ブルース・リーよ永遠なれ!! 



<立ち止まって考えなおすべきでは?> 



この国の政治に足りないもの。一度立ち止まって考えなおすこと。これではないかと、このところ痛感しています。原発政策に典型ですが、なぜあれほどの事故を起こしておきながら、原子力発電を止められないんでしょうか。止めるどころか、新設まで行おうとしています。 

汚染水一つ処理することがままならないくせに、デブリをどう処理するつもりなんでしょうか。廃炉なんて夢のまた夢なのは明らかでしょう。使用済み核燃料の処理すらできていないわけですから。 

マイナンバーカードもそうです。これこそ、いったん立ち止まって考えなおすべきでしょう。政府の対応は、もはや暴走とでも言っていいぐらいです。任意取得のはずが、保険証を廃止して紐づけるという、強制取得というべきことを平気で押し付ける。そのくせ、様々な問題が起きても、最終的責任は負わない。なんなんでしょうか。 

なぜ、既存の保険証をそのままに、並行してマイナンバーにも紐づけできるというようにしないのでしょうか。保険証を廃止して、マイナンバーカードに紐づけするのは、いったい誰のためなんでしょうか。闇が広がっていると感じてしまうのは、穿ちすぎでしょうか。 

辺野古沖米軍基地建設もそうです。軟弱地盤が明らかになり、建設は不可能ではないかという声が上がっても突き進む。なぜ、一度立ち止まってより良い方策を考えようとしないのでしょうか。本当に唯一の方法なのでしょうか。 

問題が起きたとき、いったん立ち止まって最良の方法を考え出す。それがまったくできないこの国の政治は、過ちを繰り返してしまうのではないでしょうか。私には、大東亜共栄圏の建設こそ日本が生き残る唯一の道だとして、大陸への侵略をはじめ戦争へと突き進んでいった戦前の日本の姿が重なって見えてしまいます。私だけの杞憂で終われば良いんですが。

2023.6.7 春 夏 秋 冬 

<イサキとジャミシマ狙いの釣行> 




先週末はイサキとジャミシマが数釣れて、元町桟橋が釣り人たちで大いに賑わっていました。日曜の朝には開店前からコマセを求めに来たお客さんがいたほどです。翌日に休日を控えていた私が、期待に胸を膨らませたことは言うまでもありません。 

しかし、釣行日は南西の風が吹いていたため元町桟橋での釣りを断念。野増桟橋での釣りとなりました。ふた昔前の話ではありますが、ここ野増桟橋でジャミシマを数多く釣った光景を思い出しながら仕掛けの準備をしました。 

はやる気持ちをなだめつつ第一投。その瞬間、イヤなものが視界を横切りました。仕掛け投入地点とは反対方向に顔を向ければ、しっかりと見えました。ウミガメくんです。その瞬間、一気に気持ちがなえました。さらに仕掛けを見れば、投入した地点にウキがとどまったままです。潮がまったく動いていないようです。思い描いていた大漁の夢想が消し飛んでいきました。 

 


①撮影に応じてくれたウミガメくん


現実は厳しいですね。ウミガメくんは、波消しブロックの周りをうろついてなかなか離れていってくれません。そのため、写真撮影までできてしまいました。また、潮は動き始めたと思えば、当て潮になっています。悪条件が重なります。 

まったく狙いの魚が釣れる気配がない中、最初に中りを出してくれたのはお約束のキンシチくんでした。30センチ弱の魚体でしたが、なかなかの引きを楽しませてくれました。釣り開始から一時間弱、この一尾に救われた思いがしました。 

 


②キンシチくん


しかし、キンシチくんからまたしばらく中りが遠のき、付けエサだけが盗られることが続きました。途中、一度だけ小魚の群れが海面を割って飛び跳ねました。青物でも回っているのかとよ~く見てみれば、なんと巨大なエイくんがのっそりのっそりとこちらに向かって泳いでいるではありませんか。思わず鳥肌が立ちました。 

慌てて仕掛けを回収して見ていたら、桟橋の足下の底でしばらく漂っていました。真っ黒な姿に時折真っ白な色がチラチラと見え隠れして、まるで水族館にいるような錯覚を覚えました。その後おもむろに沖の方へと去っていきました。ウミガメくんにエイくん。まったく、釣りになりません。 



<夕マズメに向けて気持ちを立て直す> 



気持ちを立て直すために、少し長めのコーヒーブレイクを取りました。それが功を奏したのか、再開後すぐに中りが出ました。しかも、イサキくんでした。35センチぐらいの大人のイサキくんです。おなかもパンパンです。ふと、考えました。明るいうちにイサキを釣ったのはいつのことだったろうかと。思い出せないぐらい昔のことでした。 

 


③久々に昼間に釣ったイサキくん


しかし、これで期待が膨らみました。大漁の夢想が再び頭の中を駆け巡りました。しかし、現実は甘くはありません。日没までの二時間弱。顔を見せてくれたのは、25センチのコナガくん二尾のみです。しかも、どちらもハリスを傷付けてくれたので、その都度針を結び換えさせられました。合わせが下手なんですね。 

 


④コナガくんA

⑤コナガくんB



ジャミシマくんのジャの字も見えませんでしたが、イサキくんは夜釣りこそが本領発揮です。きれいな夕焼け空を眺めながら、その時を待ちます。ウキの灯りをともして三投目。ウキの灯りがじんわりとにじんで海中に灯りの波紋を広げながら沈んでいきました。大物の中りです。 

 


⑥夕焼け空


しっかりと合わせを入れると、久々の手応え。何度も突っ込んでいこうとする奴さんを竿の弾力でしのぎながら、バラさないように慎重にやり取りをします。なんとかタモに納まったのは、40センチには届かないオナガくんでした。魚体も立派な良型です。 

 


⑦オナガくん


空気が入りました。マズメのオナガくんが喰ってきてくれたことで、幸先が良い夜釣りのスタートが切れました。さぁ、ここからだと気合が入りました。 

しかし、気合が空回りしたわけでもないのに、その後バッタリ中りが止まってしまいました。付けエサがマンマ残ってきます。付けエサを付け替えても、付け方を変えてもマンマ残ってきてしまいます。悪夢の再現です。こうなるとお手上げです。 

結局その後の一時間半の間に喰ってきたのは、ハタンポくんと25センチのイサキくんのみでした。夜釣りに突入すると中りが止まってしまう釣りが続いています。原因が何なのかさっぱりわかりません。 

 


⑧ハタンポくん

⑨イサキくん


こうなったら未熟な自分の腕を棚に上げて、場所替えをする以外に突破口が開ける気がしません。次回の釣行まで、ジャミシマくんやイサキくんが待っていてくれるかは定かではありませんが、リベンジを果たしたいと念じる私です。 



<立憲主義はいずこへ> 



このところのニュース報道を見るにつけ、この国に民主主義は存在しているのかと疑いたくなってしまうことばかりが続いています。立憲主義とは名ばかりで、憲法をないがしろにする政治家ばかりといっても過言ではないのではないでしょうか。 

夫婦別姓問題。同性婚問題。防衛費の一挙倍増問題。入管法改悪問題。原発推進問題。任意取得が前提だったはずのマイナンバーカードの様々な問題。性加害から子供を守る問題。首相公邸での悪ふざけ。毎日のように様々な問題が報道されています。 

理解できないのは、こうした問題に対して改善していこうとする姿勢が多くの政治家にみられないという現実です。憲法には、基本的人権は犯すことのできない永久の権利だと謳われています。また、不断の努力によって守っていかなければならないとも謳われています。 

政治家が果たしていかなければならないことは、こうした憲法に謳われた理想に現実を少しでも近づけていくように法律を作って対処していくことではないでしょうか。しかし、実際に彼らがやっていることは、憲法の理想に現実を近づけていくことではなく、憲法を踏みにじってその理想を骨抜きにしていこうとすることばかりです。 

法案の提出の仕方も論点をあいまいにして熟議させないようにするためか、束ね法案として一括しています。このやり方も、国会軽視の非民主的な方法といえるのではないでしょうか。少なくても一括しての採決ではなく、法案ごとの採決でなければ民主的とは言えないのではないでしょうか。 

それにしてもなぜ、こんな不条理な政治がまかり通ってしまうのでしょうか。私が思うそれは、人権意識が乏しい政治家が増えているからではないかということです。ではなぜ、そんな政治家が増えたんでしょうか。それは、世襲政治家が増えたからに他ならないでしょう。世襲議員が増えていくにしたがって、政治が公のものだという意識がなくなり、政治が私のものだという言ってみれば特権意識へと変わってきているのではないでしょうか。しかも、無意識のうちに。だから、首相公邸での悪ふざけが岸田さん一族で起こされたのではないでしょうか。何が問題なのかもわからないうちに。私にはそう思えてなりません。 

適材適所といって息子を政策秘書に据えた結果がこの体たらくです。典型的な世襲議員の岸田さんにも相当政治の私物化傾向が見て取れるのではないでしょうか。自民党内からもあがった「やりすぎだ」という声を無視して実行した人事なわけですから。 

したがって、世襲議員がうまれないようにしていくことが必要ではないでしょうか。政治資金を相続しても税金がかからない。同じ選挙区から出馬できる。こうした特権は、即刻やめるべきでしょう。また、高い供託金を払わなければ立候補できない、ということはやめるべきではないでしょうか。年齢以外に出馬する制限はなくすべきでしょう。 



<窮鳥懐に入れば猟師も殺さず> 



政治家の人権意識の欠如を如実に示すのが、難民に対する対応ではないでしょうか。「外国人だから人権が制限されるのは仕方がない」とでも考えているとすれば、時代錯誤も甚だしいといえるのではないでしょうか。 

「難民として認定してほしい」と、助けを求めている人々を助けるどころか、その人たちが迫害されている国に送り返すことをしやすくする法律を作って対応するなど、政治家としてというより人としてどうかっていう話じゃないでしょうか。ミャンマーでの軍の弾圧から逃れてきた人々を、難民認定して保護するどころか強制退去させるなんて、言語道断ではないでしょうか。「国に返されたら殺される」と、必死に訴えている人々をです。 

“窮鳥懐に入れば猟師も殺さず”。この格言の精神でこそ、難民に対して対応すべきではないでしょうか。 

一昔前のころでしょうか。「国家の品格」なる言葉が話題になったことがあります。私には国家に品格があるかどうかははっきりとはわかりませんが、もしあるとするならばいま進められている政治はいずれも「国家の品格」が疑われるものばかりではないでしょうか。 

あれだけの原発事故を引き起こしておきながら、原発推進にかじを切る。人権を踏みにじられている人々の訴えは無視する。「不当ではない差別」があたかも存在するかのようなウソを平気で法律の中に紛れ込ませる。難民申請はわずか1%しか認めない。等など。国家の品格とまで言わずとも、少なくとも政治家としての品格は疑われるのではないでしょうか。 

ミャンマー国民を弾圧している軍部から勲章をもらって恥じない麻生さんが、批判されることなく平然と権力の座に居座っている現実が、日本の国家の品格の状態を象徴的に示しているのではないでしょうか。悲しく、恥ずかしい現実だといえるのではないでしょうか。