2023.6.7 春 夏 秋 冬
<イサキとジャミシマ狙いの釣行>
先週末はイサキとジャミシマが数釣れて、元町桟橋が釣り人たちで大いに賑わっていました。日曜の朝には開店前からコマセを求めに来たお客さんがいたほどです。翌日に休日を控えていた私が、期待に胸を膨らませたことは言うまでもありません。
しかし、釣行日は南西の風が吹いていたため元町桟橋での釣りを断念。野増桟橋での釣りとなりました。ふた昔前の話ではありますが、ここ野増桟橋でジャミシマを数多く釣った光景を思い出しながら仕掛けの準備をしました。
はやる気持ちをなだめつつ第一投。その瞬間、イヤなものが視界を横切りました。仕掛け投入地点とは反対方向に顔を向ければ、しっかりと見えました。ウミガメくんです。その瞬間、一気に気持ちがなえました。さらに仕掛けを見れば、投入した地点にウキがとどまったままです。潮がまったく動いていないようです。思い描いていた大漁の夢想が消し飛んでいきました。
①撮影に応じてくれたウミガメくん
現実は厳しいですね。ウミガメくんは、波消しブロックの周りをうろついてなかなか離れていってくれません。そのため、写真撮影までできてしまいました。また、潮は動き始めたと思えば、当て潮になっています。悪条件が重なります。
まったく狙いの魚が釣れる気配がない中、最初に中りを出してくれたのはお約束のキンシチくんでした。30センチ弱の魚体でしたが、なかなかの引きを楽しませてくれました。釣り開始から一時間弱、この一尾に救われた思いがしました。
②キンシチくん
しかし、キンシチくんからまたしばらく中りが遠のき、付けエサだけが盗られることが続きました。途中、一度だけ小魚の群れが海面を割って飛び跳ねました。青物でも回っているのかとよ~く見てみれば、なんと巨大なエイくんがのっそりのっそりとこちらに向かって泳いでいるではありませんか。思わず鳥肌が立ちました。
慌てて仕掛けを回収して見ていたら、桟橋の足下の底でしばらく漂っていました。真っ黒な姿に時折真っ白な色がチラチラと見え隠れして、まるで水族館にいるような錯覚を覚えました。その後おもむろに沖の方へと去っていきました。ウミガメくんにエイくん。まったく、釣りになりません。
<夕マズメに向けて気持ちを立て直す>
気持ちを立て直すために、少し長めのコーヒーブレイクを取りました。それが功を奏したのか、再開後すぐに中りが出ました。しかも、イサキくんでした。35センチぐらいの大人のイサキくんです。おなかもパンパンです。ふと、考えました。明るいうちにイサキを釣ったのはいつのことだったろうかと。思い出せないぐらい昔のことでした。
③久々に昼間に釣ったイサキくん
しかし、これで期待が膨らみました。大漁の夢想が再び頭の中を駆け巡りました。しかし、現実は甘くはありません。日没までの二時間弱。顔を見せてくれたのは、25センチのコナガくん二尾のみです。しかも、どちらもハリスを傷付けてくれたので、その都度針を結び換えさせられました。合わせが下手なんですね。
④コナガくんA
⑤コナガくんB
ジャミシマくんのジャの字も見えませんでしたが、イサキくんは夜釣りこそが本領発揮です。きれいな夕焼け空を眺めながら、その時を待ちます。ウキの灯りをともして三投目。ウキの灯りがじんわりとにじんで海中に灯りの波紋を広げながら沈んでいきました。大物の中りです。
⑥夕焼け空
しっかりと合わせを入れると、久々の手応え。何度も突っ込んでいこうとする奴さんを竿の弾力でしのぎながら、バラさないように慎重にやり取りをします。なんとかタモに納まったのは、40センチには届かないオナガくんでした。魚体も立派な良型です。
⑦オナガくん
空気が入りました。マズメのオナガくんが喰ってきてくれたことで、幸先が良い夜釣りのスタートが切れました。さぁ、ここからだと気合が入りました。
しかし、気合が空回りしたわけでもないのに、その後バッタリ中りが止まってしまいました。付けエサがマンマ残ってきます。付けエサを付け替えても、付け方を変えてもマンマ残ってきてしまいます。悪夢の再現です。こうなるとお手上げです。
結局その後の一時間半の間に喰ってきたのは、ハタンポくんと25センチのイサキくんのみでした。夜釣りに突入すると中りが止まってしまう釣りが続いています。原因が何なのかさっぱりわかりません。
⑧ハタンポくん
⑨イサキくん
こうなったら未熟な自分の腕を棚に上げて、場所替えをする以外に突破口が開ける気がしません。次回の釣行まで、ジャミシマくんやイサキくんが待っていてくれるかは定かではありませんが、リベンジを果たしたいと念じる私です。
<立憲主義はいずこへ>
このところのニュース報道を見るにつけ、この国に民主主義は存在しているのかと疑いたくなってしまうことばかりが続いています。立憲主義とは名ばかりで、憲法をないがしろにする政治家ばかりといっても過言ではないのではないでしょうか。
夫婦別姓問題。同性婚問題。防衛費の一挙倍増問題。入管法改悪問題。原発推進問題。任意取得が前提だったはずのマイナンバーカードの様々な問題。性加害から子供を守る問題。首相公邸での悪ふざけ。毎日のように様々な問題が報道されています。
理解できないのは、こうした問題に対して改善していこうとする姿勢が多くの政治家にみられないという現実です。憲法には、基本的人権は犯すことのできない永久の権利だと謳われています。また、不断の努力によって守っていかなければならないとも謳われています。
政治家が果たしていかなければならないことは、こうした憲法に謳われた理想に現実を少しでも近づけていくように法律を作って対処していくことではないでしょうか。しかし、実際に彼らがやっていることは、憲法の理想に現実を近づけていくことではなく、憲法を踏みにじってその理想を骨抜きにしていこうとすることばかりです。
法案の提出の仕方も論点をあいまいにして熟議させないようにするためか、束ね法案として一括しています。このやり方も、国会軽視の非民主的な方法といえるのではないでしょうか。少なくても一括しての採決ではなく、法案ごとの採決でなければ民主的とは言えないのではないでしょうか。
それにしてもなぜ、こんな不条理な政治がまかり通ってしまうのでしょうか。私が思うそれは、人権意識が乏しい政治家が増えているからではないかということです。ではなぜ、そんな政治家が増えたんでしょうか。それは、世襲政治家が増えたからに他ならないでしょう。世襲議員が増えていくにしたがって、政治が公のものだという意識がなくなり、政治が私のものだという言ってみれば特権意識へと変わってきているのではないでしょうか。しかも、無意識のうちに。だから、首相公邸での悪ふざけが岸田さん一族で起こされたのではないでしょうか。何が問題なのかもわからないうちに。私にはそう思えてなりません。
適材適所といって息子を政策秘書に据えた結果がこの体たらくです。典型的な世襲議員の岸田さんにも相当政治の私物化傾向が見て取れるのではないでしょうか。自民党内からもあがった「やりすぎだ」という声を無視して実行した人事なわけですから。
したがって、世襲議員がうまれないようにしていくことが必要ではないでしょうか。政治資金を相続しても税金がかからない。同じ選挙区から出馬できる。こうした特権は、即刻やめるべきでしょう。また、高い供託金を払わなければ立候補できない、ということはやめるべきではないでしょうか。年齢以外に出馬する制限はなくすべきでしょう。
<窮鳥懐に入れば猟師も殺さず>
政治家の人権意識の欠如を如実に示すのが、難民に対する対応ではないでしょうか。「外国人だから人権が制限されるのは仕方がない」とでも考えているとすれば、時代錯誤も甚だしいといえるのではないでしょうか。
「難民として認定してほしい」と、助けを求めている人々を助けるどころか、その人たちが迫害されている国に送り返すことをしやすくする法律を作って対応するなど、政治家としてというより人としてどうかっていう話じゃないでしょうか。ミャンマーでの軍の弾圧から逃れてきた人々を、難民認定して保護するどころか強制退去させるなんて、言語道断ではないでしょうか。「国に返されたら殺される」と、必死に訴えている人々をです。
“窮鳥懐に入れば猟師も殺さず”。この格言の精神でこそ、難民に対して対応すべきではないでしょうか。
一昔前のころでしょうか。「国家の品格」なる言葉が話題になったことがあります。私には国家に品格があるかどうかははっきりとはわかりませんが、もしあるとするならばいま進められている政治はいずれも「国家の品格」が疑われるものばかりではないでしょうか。
あれだけの原発事故を引き起こしておきながら、原発推進にかじを切る。人権を踏みにじられている人々の訴えは無視する。「不当ではない差別」があたかも存在するかのようなウソを平気で法律の中に紛れ込ませる。難民申請はわずか1%しか認めない。等など。国家の品格とまで言わずとも、少なくとも政治家としての品格は疑われるのではないでしょうか。
ミャンマー国民を弾圧している軍部から勲章をもらって恥じない麻生さんが、批判されることなく平然と権力の座に居座っている現実が、日本の国家の品格の状態を象徴的に示しているのではないでしょうか。悲しく、恥ずかしい現実だといえるのではないでしょうか。