伊豆の国市大仁にある伊豆箱根
鉄道駿豆線の駅の大仁駅です。
隣の駐車場に車を停めて歩きます。
静かな駅ですが、道路は車が多く、
歩道もない所があるので、車に気を
付けて歩きます。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
こちらも宜しくお願いします(^^)/
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
伊豆の国市に読売巨人軍長嶋茂雄ロード
があるって知らなかった~!
野球は詳しくないのですが、有名な長嶋茂雄
さんが、現役時代の昭和42年から48年までの
間、伊豆の国市(旧大仁町)を拠点に自主
トレを行っていたそうです!
長嶋茂雄さんがトレーニングをしていた
道が「読売巨人軍長嶋茂雄ロード」
です。
ランニングをしていたのが、近くにある
狩野川の土手で、その近くの城山342m
を登っていたそうです。
長嶋茂雄ロードを歩きながら、水晶山へ
向かいます。
名前から水晶が採れたのだろうと想像が
付きますね。
標高60mという小さな山ですが、国道136号を
通ると気になる存在でした。
伊豆半島ジオパークですね。
伊豆が海底火山だった頃の地層なのです。
やはり水晶が採れたとのこと。
この辺りは大仁温泉と言って、栄えて
来ました。
地下の高温の温泉水の影響で、水晶の
鉱脈ができたそうです。
大仁駅から歩いて10分も掛からなかった
と思います。
水晶山の登り口に着きました。
大仁の歴史が書かれた看板があって、
大仁金山の歴史も書かれています。
たった60m、道は綺麗だし、楽勝!
行ってみます。
すぐに左側に鳥居がありました。
稲荷神社ですが、神社は無く?
人が住んでいる家のようでしたので、
写真は撮らず、鳥居だけにしました。
鳥居はあと一つ奥にもあり、墓石の
ようなものもあったので、見たかった
のですが、不法侵入になってしまうと
困るので諦めました。
後から調べてみると、水晶山の反対側に
ある大仁金山跡と関係があるようです。
大仁金山は大久保長安によって開け、
慶長年間に金の増産や坑内の安全を
祈願して作られたということです。
慶長11年(1606年)2月には伊豆奉行にも任じられた。つまり長安は家康から全国の金銀山の統轄や、関東における交通網の整備、一里塚の建設などの一切を任されていたのである。現在知られる里程標、すなわち1里=36町、1町=60間、1間=6尺という間尺を整えたのも長安である。
慶長17年(1612)7月27日、中風にかかり、家康から鳥犀円を与えられている(『駿府記』)。
しかし晩年に入ると、全国鉱山からの金銀採掘量の低下から家康の寵愛を失い、美濃代官を初めとする代官職を次々と罷免されていくようになる。さらに正室が早世するなどの不幸も相次ぐ中で、慶長18年(1613)4月25日、中風のために死去した。享年69。
長安の死後、生前に長安が金山の統轄権を隠れ蓑に不正蓄財をしていたという理由で、長安の7人の男児は全員処刑され、縁戚関係にあった諸大名も連座処分で改易などの憂き目にあった(大久保長安事件)。Wikipedia
次回に続きます(^^)/
応援お願いします。
遊リゾートの貸別荘@u_resort
【バーバラ】魔法のアロマレッスン無料WEBセミナー のご案内です。 風邪・インフルエンザ・ノロウイルス・・・。 今年も彼らがやってきた・・・。 もう、今年の冬は、彼らとお付き合いしないで済むには、... https://t.co/3jbhj97mv6
2017年11月26日 22:28