伊東市渚町の八幡神社で2月8日に「頼朝公遺墨碑」と
「建碑発起人碑」の二つの碑の拓本完成披露式典が開かれ、
一般の見学も可能ということでしたのでお邪魔しました。
頼朝の遺墨(いぼく)というのは、頼朝が八重姫に逢うために
蛭ヶ小島から伊東に通った時に道を修築した村人への感謝の
気持ちを込めて書き残したと伝わる文書(伊豆新聞)
上記「頼朝公遺墨碑」は、この町内に昭和7年に別荘を構えて
いた東郷元帥(東郷平八郎)が揮毫(きごう)したもの。
直筆の書は特別公開で、別の場所に大切に保管されています。
伊豆国伊東中嶋古来之控事 建治元年と書かれてます。
(ネットへの掲載は承諾を得ています)
何て書いてあるかまったく判りません。
逢うために、当地を頻繁に訪れた際に中島村(朝日町の前身)
の住民が道路を普請したことに対する頼朝公の書による
感謝状。(いただいた資料より)
頼朝公遺墨(画像は途中から)
昭和七年の除幕式の時には、朝日町の人達を中心に集まったと
思うのですが、資料の写真を見ると多くの人達が集まっていました。
東郷元帥お手植えの銀杏朝日町町内会主催の石碑拓本完成披露式典には、
市議会議員の方達や郷土研究会の方達などが
いらしていました。
頼朝公遺墨、東郷元帥直筆の書は別の場所に保管されますが、
謎を追ってみるのもおもしろいものです。
この古文書には大蛇が火を吹いた~という内容も書かれていて、
伊東に伝わる民話・伝説と結び付けることもできるのかも知れません。
1275年頃から大蛇伝説はあったということなのか・・・な。
街中の小さな神社ですが、大切にしたいですね。
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