伊東市の渚町の八幡神社に源頼朝の肖像画が残されていました。
いつの時代に誰が描いたかは判らないとのことですが、
貴重な物を見せていただきました。
ここに頼朝の遺墨碑があります。
以前は頼朝の継承会という会が存在していました。
以前に ↓ 書いたものです。
「以前頼朝の継承会という会が存在していて、継承会によると、
あの神社(八幡神社)の辺りが街中であり、北の小御所とも
離れていないと思われるので、神社の中に頼朝の碑を設置した
ようだと言う事でした」
「北の小御所」というのは頼朝が伊東で住んでいたと言われている
御所ですが、松川の川口にあったという説もあるようです。
ちょうど例大祭の後片付けの日でした。
頼朝の遺墨碑は稲荷神社の後ろにあったのです。
頼朝の碑が神社の奥にありますのは、神社は応神天皇が
祭神となっておりますので、抜け出して前に碑を建てる訳には
いかず、後ろに下げてあの位置になったということでした。
地元伊豆新聞に掲載されていましたが、半世紀ぶりに頼朝遺墨碑が
移設されました。東海館や東郷記念館に来た人達にも見ていただけますね。
案内板も設置されるということですので、源頼朝画も載っていると、
外国のお客様も喜ぶかも知れません。
道祖神の前で手を合わせていたら、
宮司さんかな。。
「中に入って来て」と言われたので、遠慮なくお邪魔しました(^^)
頼朝の恋の話や遺墨碑の話を訊くことができました。
これは複写ですが、源頼朝が蛭ヶ小島から伊東に通うときに、
道を修築した村人達に感謝を込めて書かれたというもの。
遺墨碑にはこれが刻まれています。
遺墨碑の題字は東郷平八郎元師。今、記念館となっている所が別荘でした。
町内の方は遺墨碑が移設され式典が行われた時に、カメラや新聞記者が多かったので、
びっくりしたそうです(^^)
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