郷土の誇りである「木下杢太郎」
何度も行きましたが、また記念館に寄ってみました。
100円 で入館できるからいつでも行けます!
与謝野晶子 伊豆の旅より
どうしてなんだろう~って思ってしまう。
この時代、塾などもないのに、偉大な医学者で文学者でもある
立派な方が誕生している。
あの一言を知ってからとても興味を持ってしまった。
「もし大地に乳房というものがあれば小生にとって伊東は、
まさにそれです・・・」
この一言。
初代太田惣五郎が1835年に米屋を始めた。
屋号 米惣
商売は繁盛したようです。
最初は江戸から仕入れた米、塩などを売っていた。
2代目杢太郎の父惣五郎は、勤勉で読書を好んでいたそうです。
杢太郎は画家にも文学者にもなりたかったようです。
医学の道に進んだのは、
姉きんの説得だとか。
人生は生易しくない。
だから先ず富まなければならない。
富は誰をも幸福にする。
杢太郎は拝金主義的な意見に反感を抱いたようですが、
杢太郎は家族からの仕送りにいつまでも頼るわけには行きませんでした。
ひとり、ひとりが自立しなければいけませんね。
この時代も女性は現実を見つめていたのですね。
この記念館で教えてもらうことはまだまだありそうです。
参考資料
木下杢太郎の生涯
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