「徳川家康と三浦按針」という舞台のポスターが伊東の
和菓子屋 にし村さんに貼ってありました。
家康を支えた青い目のサムライが伊東で「按針丸」を
造りました。
三浦按針は家康から寵愛されていました。
ちょ~あい!?(^~^)
やはり家康に寵愛されていた お万さま(養珠院)
1577-1653年
時代劇などにも良く登場するお万の方は、
大変美しく、誠実な人柄で17歳の時に徳川家康の
側室となられました。
晩年の家康に深く愛されたそうです。
家康60歳、お万の方17歳・・・・ムムム・・・
「この紋所が目に入らぬか」 の水戸光圀公が孫に
あたるそうです。
お万の方は 伊豆 で育っていました。
(産まれたのも伊豆 冷川という説も)
伊豆加殿(修善寺町)とありました。
伊東市 霊跡本山 佛現寺
日蓮聖人が1261年立正安国論を執筆し、北条氏の怒りに
触れ伊豆に流されました。
こちらが日蓮聖人の住居跡と伝えられているそうです。
こちらが謫居(たっきょ)の跡
日蓮宗事典によりますと、
慶長九年(1604)に日遠が身延山久遠寺に晋山し、
お万の方は彼に師事して法華信仰の道に入ったとのこと。
元和二年(1616)家康が亡くなると髪をおろし養珠院と号し、
徳川時代の日蓮宗の歴史に重要な役割で関わって行きました。
慶安三年(1650)家康の三十年忌の時にこちらの伊豆法難
ゆかりの佛現寺を参詣しているそうです。
天狗の詫証文のお話は → こちら
詫証文は今でも佛現寺に保管されています。
伊豆で育ったお万の方が家康の側室となり、伊東の佛現寺に
参詣に来ていた・・・
お万の方の美貌は、
「お万、髪の毛、七尋、八尋、三つつなげば江戸まで届く」
大変美しい方だったようです。
冷川御前も美しい方だったようですし、伊豆には美しい人が
多いのでしょうか。
ということで、応援お願いします(^o^)