天狗の詫び証文(てんぐのわびじょうもん) | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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伊豆高原 遊リゾートの貸別荘(アートロード・ロイヤルハイランド・レイクタウン)です!

伊豆のあなたのお部屋としてのご利用をお待ちしております!

赤牛、狐、狸、・・・何かが・・足りない・・・と!


ずっと思ってた。


そうです!天狗です! (ずっと思ってたことが天狗か)

気になるなにやら怪しげな柏峠・・・


怖くて行けない・・・天狗に脅かされたらどうしようおーい

え~い 行ってしまえ!走る





天狗の詫び証文(てんぐのわびじょうもん)                

                      

                       著 木部安来


伊東から中大見村冷川に通ずる二里余りの山路の途中に

柏峠があります。


万治三年の頃、峠にはとてもいたずらな天狗が住んでいて、

通行人を悩まし、村人の畑を荒し、大変人々を困らせてました。


村人の中には、天狗を見ただけで寝込んでしまう者もいたほど

です。

何しろ神通力のある天狗だけに、村人の力ではどうにも

ならなくて、相談の結果、今は廃寺となっている仏現寺の門前に

あった妙昭寺の十四世日安和尚に、天狗を追い払って欲しいと

頼みました。


日安和尚が柏峠に登ってみると、峠には枝を四方八方に広げた

大きな松がありました。


これこそ天狗の住家にちがいないと、根元に座り込み、七日七晩

お経を唱えました。


お経が終わって、日安和尚は樵(きこり)に松を切り倒させました。


根元は切れているのに、松はしばらく倒れませんでした。


不思議なことだと言っているうちに、どこからともなく風が吹いて

きて、木の葉をゆすぶる音がしたかと思うと、大松は地響きを

たてて倒れました。


その時、梢から長い巻紙がひらひらと落ちてきました。


拾ってみると、何か字のようなものが書いてあります。

日安和尚に見せると、和尚は笑いながら大きくうなずき、


「これは天狗の詫び証文じゃよ」


と言いました。

それ以来、天狗はどこへ行ってしまったのか姿を見せず、峠は

静けさをとりもどしました。


天狗の詫び証文は、現在は仏現寺の宝として保存されています。


横四十センチ、長さ三メートルもある巻紙に梵字(ぼんじ)とも

つかない文字のようなものが三千字ばかり書いてあります。


似たような字はあっても、一字として同じ文字ではありません。

文学者の大槻如電(おおつきにょでん)は、字体や紙質からみて、

韓国の諺文(おんもん・日本語でのかな)かもしれないと

言っています。また、チベットで昔使ったお経の文字かも

しれないと言う人もいました。


いずれにしても詫び状に書かれていることの意味は、

今もって不明です。




天狗の詫び証文 見せていただきたい!!お願い


と、言ってもね。

そこで、  ゴソゴソ・・・資料探し


天狗の詫び証文あった!


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むかしむかしあったとさ    伊東郷土研究会編より





さて、柏峠ですが・・・

山のハトヤホテル裏の道を行くと、(細くて暗い道)大平の森

ハイキングコースに出ますが、行った時は途中で縄が張って

あり、引き返すことになりました。


(正直ここで考えたことは獣と間違えられて撃たれたら困ると・・ショック!


冷川峠から伊豆市に向かって行ってみると、柏峠への分岐点へ。

やはり縄が張ってありました。

今は通ることができないのかな?(天狗が暴れているのか得意げ


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柏峠

往古より、大見・狩野地域から江戸へとの物資や文化との交流は、

この峠を越えて伊東の港からであった。地形的に険阻なこの峠越え

は、「極難の道」といわれ人々を悩ましてきた。

明治15年、峠下の断崖をえぐりぬいて隧道を造り、新道を設けることに成功

したのである。まさに千天の慈雨といえるものであった。

しかし、この通路も明治39年、新しい県道が開通すると、しだいに

古い歴史をもつ柏峠越えは廃れていった。

また、この峠にはいくつかの史跡、伝説が残されていて、その主な物

は、「天狗の詫証文」「柏峠の宝印塚」「馬場平の石仏群」「おちい

観音物語」「柏峠の黒曜石」などがある。


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伊東近道石碑


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石碑

この美女は・・・天狗か狐か・・ ワタヒか・・(コラーパンチ

でも我が街のため頑張っているのね。


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