平成21年 日曜劇場ドラマ JIN-仁 の医学館の
ロケに使われた韮山の重要文化財 江川邸 に行って
来ました
NHK大河ドラマ 篤姫 のロケもこちらでも行われた
ようです。
平安時代江川家は清和源氏の流れをくみ、源満仲の二男
宇野頼親を家祖とし、宇野姓を名乗っていました。
保元の乱(1156年)の時に6代親治が崇徳上皇側に参戦して
敗れて、その孫親信が従者十三人と共に落ち延びて
伊豆に定住したと伝えられているそうです。
その後、鎌倉時代、室町時代と伊豆の豪族として地盤を
固めて行きました。
狩野川の支流の名にちなんで、姓を 江川 と改めた
と言います。
平安末期には源頼朝が流罪となり、親信の子、治信は平家に
対する挙兵に応じて参戦しています。
北条早雲の伊豆進出(1493年)には23代英住が土地を提供
して、韮山城を築城させて、その後5代に渡って
北条氏の官僚となったとされています。
<きささげ>
資料に寄ると、ノウゼンカズラ科の落葉高木。
マメ科の「ささげ」に似た細長いさやをつけ、その実は
利尿薬となるそうです。
こちらがきささげ。
宿り木
こちらは桜に樫木と楓?かな?
他にも宿り木がありました。
パン祖の碑 この意味は次回に!
江川家の井戸の説明 名水が出たと書かれています。
江川太郎左衛門龍
36代英龍(1801~1855)が活躍していたのは幕末。
伊東市富戸のボラ納屋を起点とする城ヶ崎ピクニカルコース
に入ると、間もなくの所に前角砲台跡がある・・・
伊東の民話より 江川太郎左衛門英龍と伊東との関わりを
知ることができます。
前角の砲台跡と火薬造りの釜屋(富戸) 編著・宮内卯守
②は邸内の様子です。
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