遠流の地・伊豆 | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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源頼朝が伊豆に流されたことは有名ですが、
生まれたのが1147年、伊豆に配流されたのは
14歳の頃でした。

伊豆に流人達が集まったのは、もっともっと
ずっと前だったようです。

他にどんな人達が配流されて来たのか気になって
いたので調べてみました。

伊豆が遠流の地と定められたのは、神亀(じんき)元年
(724)。
これより前、天武天皇の時に麻続王(おみのおう)が
因幡(いんば)に流されています。
日本書紀に書かれているそうです。

その時の歌が、

「うつせみの 命を惜しみ 波に濡れ 伊良虎の
島の 玉藻刈り食む」

自分は命を惜しみ波に濡れながら伊良虎の島の藻をとって
食べる

この麻続王(おみのおう)の子が遠流である伊豆
に流されたという。
麻続王は三位であり、とても高位なのです。

そして天武天皇の時、杙田史名倉(くいたのふひとなくら)
という官人が天皇を非難したために伊豆の大島
(この頃は伊豆嶋と言ったようです)に流されています。

朱鳥元年(686)には大津皇子の舎人(とねり)であった
ときのみつくりが下田の箕作(みつくり)に流されました。

下の地図が下田の箕作(みつくり)ですが、字が違う
けれど、ときの”道作”(みつくり)が流された
所です。
伊豆嶋(伊豆大島)は東伊豆の右の方に
あります。

舎人というのは、皇族や貴族に仕えていた者です。


伊豆大島
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役小角(えんのおづの)は妖術を使ったとして、
伊豆嶋(伊豆大島)に流されています。

以下ウィキより
役 小角(えん の おづの 舒明天皇6年(634年)
- 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、
飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。
姓は君。修験道の開祖とされている。
後の平安時代に山岳信仰の隆盛と共に、役行者
(えんのぎょうじゃ)と呼ばれるようになった。

実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説
によるところが大きい
。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の
霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地とした
という伝承がある。
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この時代も遠流の地、伊豆にはかなり高貴な
人達が流されて来て、都の文化などを伝えてくれた
ようです。


日本史アクエリオン(^-^)



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