与謝野晶子と鉄幹は伊東に来ると、新井の宝専寺に寄って
から一碧湖に向かったようです。
昭和の初め頃ですね。
元朝日新聞ロンドン特派員を務めた嶋谷亮輔氏が営んだ山荘
が一碧湖の高台にありました。
昭和13年発行の「友を語る」という本に、この山荘のことを晶子は
書いています。(一碧湖ガイドブックより)
参拝のできる時間を過ぎていたので、入口近辺だけで
帰りました。
有壁庵兎山歌碑 1795年(寛政7年)俳人一茶と歌仙一巻を巻く
と残されてます。
与謝野晶子歌碑
伊東氏占めて三浦に對したる 半嶋の春梅桜咲く
与謝野寛(鉄幹)歌碑
磯寺の竹の林を通す雨 しづかに聞けバましる波音
歌碑は墓地の方にあるようでこの日は行くことが出来ません
でした。
「書いている人おじいちゃんですか?」という
コメントをいただきました∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
かたじけない(=⌒▽⌒=)
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