情報が溢れていて何が本当なのか何も判りません。
もうすぐ一年が経とうとしています。
東日本大震災、巨大津波、原発・・・
東京直下型地震の可能性。
いつかはあることかも知れませんが、今は自分の生き方
で突き進むしかないと思います。
地元の過去の地震の爪痕を探ってみました。
(前にも行きましたが(^_^))
大正12年9月1日11時58分関東地方でマグニチュード7.9の
関東大震災がおこりました。
津波がどの辺りまで来たのでしょう。
伊東の和田一丁目の児童館の所にある津波浸水点の標石
伊東市和田一丁目の場所は こちら
伊東市川奈の海蔵寺の石段。
海蔵寺の場所は こちら
海蔵寺の石段。
下から3段目までが、安政の津波。
7段目ぐらいまでが、(女の子の位置)関東大震災の
津波(約5m)。白く見える石柱の所です。
上から3段目ぐらいまで(男の子の位置)到達したのが、
元禄の大津波と言われているそうです。
伊東市宇佐美 春日神社
関東大震災のつなみ浸水点の標石です。
春日神社の場所は こちら
こちらも前に書きましたが、関東大震災後に帝都復興に心血を
また木下杢太郎記念館に行きました(^~^)
閉館5分前、「すみません、少しだけ」 ってかなり強引でした~。
それも無料で!( ̄□ ̄;)
大正十五年(1926)3月21日に志半ばにして自ら命を絶った
圓三。
区画整理に対する無理解や復興局疑獄事件(土地買収に
からんだ汚職事件)の発覚などによる心労が積み重なった
からだそうです。
まだ45歳でした。
そんな圓三が奥さんに宛てた手紙が展示されています。
”かわいい””愛しい”とか書かれています(^ε^)♪
未曾有な出来事も悲惨な状況も防ぐことは出来ないかも
知れないけれど、それでも一歩一歩進んで行かなければ
ならないのですね。