昨日の続きとなります
昨日の 悲劇の英雄 為朝
源為朝は保元の乱(1156年)で名が知られて
います。
でもあまりいいお話が出て来ません・・・
名が語られる魅力がどこかにあったのかも
知れません・・。
為朝は伊豆大島の島民に自分のことを王様と呼ばせ
ました。
為朝の心おごったふるまいは、京の都にも知られ、為朝
追討の命が下りました。
現代の伊東市宇佐美に伝わるお話
著・山本悟
追討の知らせを耳にした為朝は、一行は宇佐美の浜から
船を乗り出すであろうと考えました。
そこで九州にいた時からの家来、三丁礫紀平次(さん
ちょうつぶてきへいじ)を闇夜にまぎれて、宇佐美へ潜り
込ませることにしました。
宇佐美に着いた紀平次が、夜の闇に身を隠して
見ると、宇佐美の館は大にぎわい。
追討の総大将が乗る軍船の完成祝と、出陣の前祝
の宴が盛り上がっているところでした。
新造船は城山下の烏川尻につながれたまま。
紀平次は、造船所のかんなくずをかき集め、火を
放ちました。
館の人達が気付いた時はすでに遅く、軍船全体に火が
回り、高々と上がる炎を、茫然と見つめるだけでした。
追討軍は大島へ向かうことができなくなり、為朝の死に
ついては語られていません。
宇佐美の海岸に源為朝のお話が伝わっていたことは
知らなかったです。
今は宇佐美の海岸は浜辺公園などもできて、地元の人や
観光客の方が散策をされています(^_^)
応援などしていただけると
嬉しいです(^_^)v





