江戸時代の経済 | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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江戸時代、元禄期に入ると経済的に厳しい状況に陥って

しまいました江戸時代


この頃の幕府の大きな収入源は年貢が中心お米


他にも戦国時代に全国各地に開発された金銀鉱山からの

収入、鎖国以降も中国やオランダとの間で行われていた

貿易による収入もあった。


が、鉱山は枯渇の状態で大きな収入源にはならず、貿易も

大きな利益には繋がらなかった。


年貢による収入が唯一の便りだった。


(年貢って今の時代でいえば、税金でしょ?

ずっと減っている。

貿易収支?ここの所マイナスだよね)


この頃、米の生産高は増えて上がっていたみたいだが、市場に

出回っている通貨の量は増えない。


そのため、米の価値は下がる↓ いくら米を作って年貢として

納めさせても幕府の収入は増えません。


デフレ です。


5代将軍綱吉の浪費がひどく、幕府の収入が約80万両の時に

140万両もの支出をしたということです。


(今の時代の収入と支出のバランスと似ている)


こんなひどい時代に何をやったか・・・


貨幣政策です。


貨幣の質を変えることで幕府の収入を増やそうとしたのです。

金貨と銀貨を作る際の金と銀の含有量の割合を変えて銀の方を

多くしたのです。

金よりも銀の方が安かったのです。


金貨成分を少しずつ変化させ、幕府の収入も増加して行きました。


しだいに人々の生活も豊かになって行きます。


その後、度重なる天災、自然災害、綱吉の浪費などにより、

貨幣改鋳を繰り返しました。


貨幣の流通量が予想よりも上回り、以上なインフレとなります。


物価高騰↑ 庶民の生活はますます苦しくなりました。



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江戸時代の通貨 寛永通宝

               図説伊東の歴史より

銅貨である寛永通宝も小判などの金銀の貨幣と同様に幕政改革の

度に改鋳されて品位は低下する傾向にあり、庶民も通貨の相場

変動の影響を強く受けていた。



改めて思いました。今だって同じではないか・・・。



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