<こういう証文が実際に残されているのです>
明和9年(1772(安永元年))10月、宇佐美村内の塩木道村の
人々が、宇佐美村の村役人中へ宛てた証文。
塩木道村では、同は8年夏頃より「乱心」した(心が乱れ、
心神喪失の状態)の男を「さし小屋」に隔離して、
番人を付けて監視した。
「さし小屋」とは鎖、あるいは錠前をほどこした小屋と思われる。
同9年2月頃、小屋を押し破った男は、
「至極快気」し「家職」に復した。
しかし、9月20日頃「再発」し、今度は「殊のほか気前丈分」
だったので、村方は彼の手足を縛っておいた。
ところが、男は、この拘束からも逃れ、網代村や宇佐美村の
村役人宅へおもむき、「悪口」 「不埒(ふらち)の口上」
と言い立てた。
この証文では、塩木道村の兄・組合・親類の者たちが男の
「不埒」を謝罪し、今後のさらに厳重な監禁を約束している。
-伊東史よりー
今から239年前、宇佐美の塩木道のお話です。
伊東市宇佐美塩木道 この辺りにふらちな男が居た。
(239年前のお話ですので、現在はいないでしょう・笑)
身近で起きた小さな事かも知れませんが、だからこそ
時代を把握する事ができます。
これは江戸時代の「伊東の産物」
油桐(アブラギリ)
桐に似た果実から良質の油(桐油)が取れることからこの名
が付いた。
唐傘、合羽(かっぱ)、ちょうちんの防水剤として用いられた。
対馬地区で群生していて、江戸、清水へ出荷されていた。
図説伊東の歴史より