人の人生なんて短いよね。
身近な所の伝説とか読んでいるとそう感じて来ます。
あ~あの場所はもう何百年も経っている所なんだ~なんて
思うと~ね
鉦鼓石(しょうこいし) 著・山本 悟
昔、和田村の田んぼの中に小さな池がありました。
池の底からはぬるい湯が絶え間なく湧き出していました。
この池の近くには小川が流れ、石橋が架けられていました。
寛永(1624~1644)の頃。
池の近くに浄円寺というお寺が建てられました。
珍しい魚のすむ池は寺の名にちなんで浄の池と呼ばれるように
なりました。
打ちました。
石橋は軽やかな音を響かせ、女の子達の顔に赤い汁が飛びました。
「この音どっかで聞いた」
「うん、念仏の時たたく鐘の音。そっくりだ」
その時、石橋に両手をかけた素っ裸の男の子達が、せり上がって
来ました。
「あのな、石橋の裏にはな。眠った龍がいるんだぞ」
「おいら、この龍が目をさましたらな。背中にまたがって両手でひげ
つかんでさ。雲の上まで飛んでやるぞ」
男の子達は小川に飛び込むと、石橋をくぐり抜け、川下の方へ
流されて行きました。
こんなのどかな日が続き、そして元禄十六(1703)年。
江戸(東京)を中心に大きな地震が襲いました。
和田村でも地震に続いて押し寄せた津波で沢山の死者を出し、
田畑も荒れ果て、浄円寺も流失してしまいました。
すっかり寂れてしまった村が、やっと生気を取り戻した寛政(1789~
1801)のころのことでした。
「和田村に珍しい石があるそうだ。たたくと、中国から伝わった
鉦鼓(しょうこ)という楽器によく似た響きを出すそうじゃ」
韮山の代官江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)は、ある日
和田村の村長下田義文のもとを訪ねました。
ところが村長はじめこの石のことは誰も知りません。
そこで浜道通りに架かっていた小さな石橋に案内しました。
代官が頭に描いていた音色。
それには遠く及ばない音を聞かされて、代官はすっかり機嫌を
損ねてしまいました。
浄円寺は文政年間(1816~1830)村人達の努力によって今の
場所に移され、六間半(約十二メートル)四面の本堂が再建され
ました。
石橋も一緒に、寺の前を流れる小川に架けられました。
弘化二(1845)年になって、この石橋が鉦鼓石であることが
わかりました。
その後この石橋は和田村の名物として、村人達から大切にされる
ようになりました。
小川の流れも石橋も現在は姿を消し、浄の池も埋められて今は
ありません。
狩野川台風で大きな被害に遭いました。
昔話、伝説は後世に伝えて行かなければならないと思います。
これに寄ると、元禄地震が起きて生気を取り戻すまで80年以上
掛かっているということですものね。今の時代の人の一生。
時代は違うけれど、考えさせられます。