伊東温泉旅館の走りとされているのは、天保11年(1840)
武智嘉右衛門によって猪戸(ししど)で温泉宿が開かれた
ことのようです。
猪戸(ししど)・・・どうして猪(いのしし)の戸(と)と呼ばれる
ようになったのでしょう。
少し長いですが、伝説があります。
猪戸の湯
著・山本 悟
大昔、猪戸温泉辺りは、一面にあしやよしが生い茂る
広々とした沼地でした。
ある日、若い男が、松原の家を出て、岡の小川へと向かって
歩いていました。
沼地のほとりにさしかかった時、羽音を響かせて、水鳥が一斉に
飛び立ちました。
「ちぇ、脅かすなよ」
男はギクッとして足を止めました。
水鳥の群れがはるか向こうの、よしの間に降りたころ、男はまた
足を速めました。
沼地を抜け、すすきの原に足を踏み入れ、しばらく歩いた時です。
わらわらと、すすきがなぎ倒されて行くのが、目に入りました。
行く手わずか三軒(約5.5m)ほどのすぐ近くです。
男は慌ててすすきの陰に身を潜めました。
ふうふうと荒い鼻息が、すすきを押し分けながら、斜めに横切って
行きました。
「手負い猪だ!」
男は身を固くしました。
「手負い猪は恐ろしいぞ。あの鋭い牙で、何でもしゃくり上げてしまう
からな。おめえなんぞ、腹をまっ二つに裂かれて、空高く放り
上げられてな。地面に落ちて来た時にゃ、もう息絶えてるだぞ」
耳元でがんがん響いているのは、子供のころ、じいちゃんと一緒の
布団の中で、寝物語に聞かされた言葉です。
男は隠れたまま、両手できつく耳をふさぎました。
どれほど時が過ぎたでしょう。
何事もおこらないことに不安を残しながら、男はそっと顔を上げ、
ゆっくりと五・六歩足を運びました。
「やっぱり、手負い猪だ」
蹴散らされた土をくれ。赤く染まったすすきの株。男は、思わず
つぶやきました。
でも辺りは全く静か。鼻息荒くかけ抜けたあの手負い猪は、
いったいどこへ消えてしまったんでしょう。
男は、手負い猪の踏み倒したすすきの後を、恐る恐るたどって
行きました。
「あっ」
男は、思わず息を飲み込みました。すうっと身を乗り出した時、
あの手負い猪が目の中に飛び込んで来たのです。
白く立ち昇る湯気。その湯気の中から抜け出して、ゆっくりと
すすきの中に消えて行くところだったのです。
「あのすすきの中の出湯は、切り傷に効くそうだ」
「手負い猪の傷も、すっかり治したくらいだからな」
出湯につかる手負い猪の姿を見た人が、つぎつぎと現れ、里の
人達はこんなうわさをするようになりました。
いつしかここは湯治場となり、猪渡(ししど)と呼ばれました。
その後、猪戸と変わり、温泉街として賑わいを見せるように
なりました。
現在の猪戸通り
猪戸通りを海岸の方に向かい歩いて行きます。
松原温泉会館!松原大黒天の湯
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