伊豆高原は暖かくてソメイヨシノのつぼみははちきれそうに
なっています。
せっかくのイベントが中止になっているのは悲しいことです。
みんなで支えあうということは一歩踏み出さなければ出来ないと
思います。
慎重に行動しなければいけないのは判ります。
ただ、自分達の地域を守れなくて、先に進むことはできないと
思います。
被災地の皆さんの為に一生懸命頑張りましょう。
どんなことも乗り切り、踏ん張って、今年も花を咲かせようとしている
桜に教えてもらった気がします。
吉田の用水隧道 編者 宮内卯守
一碧湖の水を吉田の盆地に注ぐため湖尻から、光栄寺奥の沢まで
山を約三百五十米にわたってくり抜いたもので、今から百四十年位前の
文政年間に完成したものであるという。
初めて工事をはじめたのは、山口半五郎という人で、このひとは、
罪をおかし、その償いのため諸国を旅して歩いていた。
ある年、めぐりめぐって、この吉田にやってきた。
その頃の吉田は、水が大変に不便で人々は困っていた。
人情に厚い村人に報いるために何かないかと思っていた半五郎は、
一つ山を越えた所に、水を満々とたたえる湖があることを知り、
この湖の水を引くことができないかと、いろいろ村人の間を説いて
廻ったが、人々は、途方もないことだと取り合わない。
そこで、できるかできないか自分一人でよい、罪の償いと、
村人のために役立つならばと、手のみ一丁で山をくり抜く隧道を掘る
ことを心に決め、寝食を忘れてこの難工事に取り組んだ。
途中、何度も挫折しそうになったが、自分のおかした罪の深さを、
人情厚い村人の幸福のためと、自分で自分を励まし、工事を続けた。
工事が進むにつれ、村人たちも協力するようになり十三年の歳月を
費やして、遂に完成をみた。
この用水のおかげで吉田の盆地は、美しい水田地帯に変わったのである。
また吉田の水田は、山口半五郎の誠意の用水のためか、他の村々に
比べて、約一ヶ月近くも早く田植えが行われるのである。
今年2月撮影
今日の一碧湖沼地(吉田隧道の所)
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