肝臓先生(カンゾー先生)またまた伊東の英雄☆ | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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伊豆のあなたのお部屋としてのご利用をお待ちしております!

聞いた話ですが、今回の震災で畳の上に乗っていたおばあさんが

津波にのみ込まれずに助かったとのことです。


これから津波だけでなく”どんな波”にものみ込まれないように

私達はがんばっていきましょう。

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作家坂口安吾原作「肝臓先生」のモデル佐藤十雨(本名 清一)

ご存知ですか?


作家坂口安吾は伊東で療養中1950年に「肝臓先生」を発表しました。



伊東市猪戸通りにいまでもあります。

肝臓先生の天城診療所。

医者という職業だけでなく俳句もたしなみ、さまざまなものも集めていたそうです。
ちーさんのブログ

古くて何て書いてあるのか読めない部分もあります。
ちーさんのブログ

1998年 今村昌平監督により映画化されました。


            カンゾー先生

             

             (あらすじ)


1945年 (昭和20年) 、岡山で開業医を営む赤城風雨は、

周辺住民で流行していた内蔵病を、往診するたびにあちこちで

肝臓炎と診断していた。


その一辺倒な診断から「カンゾー先生」と住民から小馬鹿にされ、

揶揄されつつも、肝臓炎の研究には人一倍熱心だった。

その肝臓炎とした診断が周囲に信用されないなかで、

彼の独自に行う肝臓炎の研究が進む。


肝臓炎原因の究明へ赤城風雨が向かう頃、看護婦として雇っていた

淫売癖のある万波ソノ子が、近隣の捕虜収容所から脱走した

オランダ兵のピートを、何の気なしに怪我人として赤城医院へ

かくまってしまう。


第二次世界大戦の日本帝国軍と虚勢する日本兵と、

その捕虜オランダ兵を巡って、赤城風雨の周囲の人々を巻き込み、

開業医としての彼の在り方があやふやになっていく。

(ウィキペディアより)



伊東にいた佐藤十雨先生(肝臓先生)

伊東で療養していた作家坂口安吾


伊東にはこの時代にも素晴らしい人たちがいました!


映画化してくれた今村昌平監督は

2006年に亡くなっています。



戦後のやみ市での人間のギラギラした欲の深さ。


そういう中でも強い女性。シリアスには納まりきらない人間のこっけいさ。


人間が人間であろうとする感性は干し上がり、それでも皮膚を一枚剥がすと


ジメジメした感情が人間にこびりつく。


そこで人間の選択する道はただ一つ! 笑うしかない!


今村作品はそういうものだったようです。



戦後は今よりも大変だったことでしょう・・・


今も、笑うこと、必要だと思います。


そしていつの時代も女性は強い!ニコニコ


そうだね!女性は強いよぽちっ!


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