時が流れて災害の大きさに驚いています。
東北地方太平洋地震により被災された方には心よりお見舞い
申し上げます。
地震の募金もピグと他でもしてきました。
今日横浜に住む方とお話をしました。
震度5強だったようです。
こんな怖い思いをしたのは初めて。
これが関東大震災のような地震だったら死んでたかも知れない。
と言ってました。
関東大震災・・・ (図説 伊東の歴史より)
大正12年9月1日11時58分関東地方でマグニチュード7.9の
関東大震災がおこりました。
海岸に面した湯川、松原、玖須美、新井は津波で多くの家屋が
流されました。
もっとも大きかったのは、伊東大川右側の低地です。
現在の静海町、芝町付近はほとんど流失しました。
大川橋にはカツオ漁船が津波により乗り上げ、欄干が壊されています。
津波は地震発生から約7分後に第一波が押し寄せて、その後、
六回もきているのです。
第二波がもっとも大きかったそうです。
和田一丁目には海岸に十本の松があり、これによじ登った人物が
津波から難を逃れていますが、十本の松のうち八本は流されて
しまったといいます。
中央の五輪塔と左奥が関東大震災、前列左の自然石を用いた2基が
元禄地震による津波の死者を供養する。
関東大震災の前、元禄16年11月23日には元禄地震がおこりました。
真夜中に発生した地震の揺れそのものによる被害よりも、
直後に襲来した津波による被害の方が圧倒的に大きかったのはこの時も
同じです。
上から3段目ぐらいが元禄地震の津波到達点、白く見える石柱(真ん中辺り)が
関東大震災の津波到達点です。
過去に津波被害と多数の溺死者が生じているということは、石碑などに
刻まれています。
津波の恐ろしさを後世に伝えて置こうという意図をうかがうことができます。
今回の東北地方太平洋地震により、多くのことを学ばせていただきました。
過去の被災の記憶を忘れてはいけません。
後世に語り伝えようとした人々の気持ちを無駄にしてはいけません。
そう思います。
ニコサムさんのブログからご覧ください。
日本人であることに誇りを持ちました。地震に関する温かい話
Takuさんのブログをご覧ください。