日中韓文化比較 | 堕ちる日本

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先ほどのエントリーの朝鮮文明の本質について、まとめ。

日中韓の三カ国の文明の性質の違いを一言で言い表すとすれば、

日本は吸収の文明
中国は反復の文明
朝鮮は交代の文明

ということになる。

本来は日漢鮮とでもすべきだが、便宜上よく使われる日中韓をタイトルとした。

日本は外から来たものを取り込み、それを全く別のものに変えてしまう。
中国は同じことを延々と繰り返すのが大好き。
朝鮮は新しいものを受け入れる際に過去を捨て去る。


日本については既に耳タコだろうが、この民族は外部のものごとを自身に都合の良い形に変えて吸収し作り替えてしまうことに長けている。これ以上の説明は避ける。


中国の場合は、あそこは原則的に唐の時代が文明の頂点であり、以降は支配者が入れ替わるだけで同じことを繰り返している。今の共産党政権もそのいくつかあった王朝の一つに過ぎない。

中国人の繰り返しを好む性質は、違法コピーや模倣品に対する価値観にも強く反映されている。彼らは人のアイデアをぱくることを再利用のための賢い行為くらいにしか考えていない。むしろ原作のリスペクトとすら感じている面がある。盗用は彼らにとっては一種の反復なのだ。

彼らの借用盗用引用の徹底ぶりは漢詩を見ればよくわかる。漢詩という文芸はその相当な部分が過去の作品からのインスパイアーで成り立っている。他の文明の文芸作品にも似たような傾向はあるが、漢詩は特に再利用の頻度が異常だ。漢詩では作品のどの部分が何の再利用なのかを知っていることが重要な前提知識となる。そしてその借用の巧妙さを競い合う。結果として、漢詩は唐の時代に最盛期を迎えその後同じようなものを延々と作り続けるだけのループにはまり込んでしまった。

我々が一般に悪い事と受け取っている盗用行為は、中国人にとっては身に染み付いた悪意のない反復作業であることがある。彼らにとっては先人の知恵を再利用することが文明の基本原理であるからだ。


では、朝鮮の文明はいかなる文明か。私も最近ようやく見えてきたが、朝鮮文明の本質は入れ替えの文明である。この点を理解すると彼らの行動パターンとその長所および問題点がすとんと腑に落ちる。

朝鮮半島という立地は古くから紛争の絶えない宿命にあり、民族、言語の入れ替わりも激しかった。半島南部には古くから日本人が多く住み、北部からはツングース系の諸民族が入れ替わり南下してくる。そして西からは海を越えて漢民族の難民が押し寄せる。更に時に大陸深部からは騎馬民族も襲来する。現代朝鮮人は李氏朝鮮より前の民族とは人種構成が大きく異なると考えた方が良い。

このような状況で長期間にわたって特定の民族がその固有の文明を維持するのは大変に困難である。そこで何が起こったか。朝鮮人は支配者が入れ替わる度にその歴史をリセットしてきたのだ。中原の支配下では漢民族の一氏族として振る舞い、ツングース系が強い時はその派閥を王座に受け入れる。日帝に支配されれば自らを日本人と名乗りその権利を主張し、日本が負けた途端に別人となり手のひらを返す。

彼ら朝鮮人にとって、新しい体制への移行は旧体制の全面的な否定を必要とする。そのためには道理が曲がろうがそんなことはどうでも良い。あらゆる嘘が正当化され歴史が捏造される。これを半万年も繰り返してきたのが朝鮮の歴史だと言える。

朝鮮人の日本へのいわれのない恨みだが、実はこれは日本に対してだけのものではない。過去に支配された民族に対しても全く同じような態度を示している。満州族などがそうだ。面白いように今の日本に対する言動と同じようなことを言っている。

朝鮮人が歩んできたこのような歴史が彼らの精神に与えた影響は計り知れない。彼らの最大の問題は己の本当の姿、つまりアイデンティティの欠落にある。自分たちが本来何者であるのか、どうあるべきなのか、それが全くわからないのだ。常に過去を消し去り全てを入れ替えることを繰り返してきたことで全てが失われてしまっている。

その空白が招く葛藤が彼らの異様なまでの空虚な自尊心を生む。全く根拠のない空想でこしらえた歴史と誇りが必要とされる。そしてまた、自分が特別な何者かでありたいという欲求が爆発する。

朝鮮人は何故自ら創氏改名を要求したのか。そして何故同じ名字があれほど多いのか。何故作り物の家系図に執着するのか。何故韓国では改名申請が異常な数あるのか。何故海外移住を切望するのか。何故信じがたい率の人が美容整形を受けるのか。何故通名を使うのか。

経済面では韓国の強さの源である容赦ない切り捨て感覚。サムソン、ヒュンダイ栄えて国滅ぶ。大財閥に全ての資源を集約し、中小企業のことは全く顧みない。彼らが切り捨てるのは過去だけではない。必要のないものは今現在、いや未来でも切り捨てる。なかったことにする。どかっと一度に大量の金と人材を集めてギャンブルまがいの商売をすることにこれほど躊躇しない民族も珍しい。まるで池の飛び石を行き先を決めずに飛んでいくようなことをする。

朝鮮人には背負うべき過去がない。あるのは自尊心を保つために捏造した虚構の神話だけだ。だから失うものは何もない。今を生き延びるためならば何をしても許される。そういう生き方を彼らはしている。駄目になったらまたなかったことにして総入れ替えしてしまえば良いのだ。

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