前回のブログでは毎日新聞さんの夕刊に取り上げていただいたこと、新たな読者さんに向けて私の人生目標を書きました。

今日は夫の発達障害の傾向について書いていきます。ブログを書き始めて3年、これまで触れたことのない内容です。

 

 

ろくでもない静香を支えた旦那さんはすごい!

 

 

このようなお言葉をたくさんいただきます。私のことを知った方は夫にも興味がわくようです。


ろくでもない静香を支えた旦那さんは一体どんな人なんだろう。


私が読者の立場でも同じことを想像します。

散々迷惑を掛けさせられた妻なんて捨てちゃえばいいのに、離婚すればいいのに、どうして一緒にいるんだろう、聖人のような人なの?どんな人生を生きてきたの?


このような疑問が出るのは普通のことだと思います。

 

 

夫はASD・ADHDグレーです

 


私が夫とお付き合いを始めたころの記憶は向精神薬のおかげであまり無いのですが、逆に強く残っている記憶もあります。

・運転中に人の話を聞けない(右から左)
・混雑している駐車場で空いている場所に気付けない(空間認知が低い)
・吃音症
・無口

 

これらはかなり強く記憶に刻まれています。


・運転中に人の話を聞けないのは、運転に集中すると私の話の内容をほとんど理解できないという意味です。

結婚前の夫とドライブをして楽しいと思ったことがありません。会話のキャッチボールが出来ないからです。

そんな言い方は酷い!と思われる方もいらっしゃると思いますが、長時間のドライブで話しかけても上の空で「うん」しか返ってこない、自分の思ったことは独り言、車内の密な空間で会話のキャッチボールができないのは苦痛です。



・混雑している駐車場で空いているところ、あるいはこれから出ようとしている車を見つけるのが私は得意な方ですが、夫はそれらが目に入りにくいです。

あそこ空いたよ!と言ってもすぐ運転に反映させることができません。その結果入り口から遠くの駐車場に停める羽目になるのですが、これが毎回続くのは私にとって大変ストレスです。

今現在もその傾向は続いているので、遠出以外の運転は私がします。

私からすると「あそこが空いてるのに何で見えないの!?」となるんですよね。


 

・夫は吃音症(どもり)です。普段は気付きませんが、喧嘩をすると吃音が出ます。

おそらく幼少期に友人たちから吃音をからかわれたでしょう。吃音症を無意識に隠して生きてきたからか、夫は普段から無口です。

 

 

仮釈放中に気付いた違和感

 

 

今でも忘れません。日曜の大河ドラマ、真田丸を夫は観ていました。

私は家の中の片づけをしています。いらないバッグやアクセサリーを処分するために仕分けをし、ゴミ袋に詰める作業をしていました。

夫は私に目もくれません。というより私は家の中に存在しておらず、まるで夫が一人暮らしをしているように感じました。

ごみ袋のガサゴソ音がうるさいので夫は無言で音量を上げ、真田丸を観続けました。



このときのことを私は日記にこう綴っています。
 

今まで薬の影響でそう感じただけかもと思っていたが、上の空で話を聞くのは間違いない。栃木に迎えに来てくれた時も感じた。人の話に相槌をうつことさえしない、ながらで話を聞かれるのは腹が立つ。○○は(夫は)自分のことにしか興味が無いのでは?自分のことが大好きと似ている。うまく言えないけど周囲が見えていない感じがする。私はまるで透明人間のようだ。私を見ようとしない人と一緒に居る意味はあるんだろうか。我慢する意味はあるんだろうか。


夫への違和感と不満が出所後にどんどん膨らんでいきます。

受刑前に感じた夫への違和感は私の向精神薬の影響ではない、それを確信したのです。


出所後も人の話は聞けない、上の空、運転時の判断が鈍い、まるで私が同じ空間に存在しないように感じさせる。


違和感や不満があっても自分が悪いことをしでかして刑務所へ行ったのですから、私が我慢しなくてはいけない、全て受け入れなくてはいけないと自分を押し殺し納得させていました。

 

 

夫は発達障害なんじゃないか…?

 

 

受刑中は依存症だけを勉強していたわけではありません。

パーソナリティ障害や発達障害、アスペルガー症候群についても勉強しました。(今はアスペルガー症候群とは呼ばずASD、自閉スペクトラム症と呼びます)

 


夫はASDとADHDが混ざっているんじゃないか?そう思うことが増えていきました。
 


服やスーツは何枚もあるのに気に入ったものをずーっと着続ける。鏡を見るのは大好きなのに、服にシミや汚れがあることに気付かない。視野が狭く拘りが強いのです。

私は「一つの服やスーツを着続けると洗濯とクリーニングの回数が増え生地が痛んでしまうから、長持ちさせるためにもローテーションで着て」と伝えます。すると変えた服やスーツをまたずっと着続けます。

人の話聞いてた?ローテーションで着てって言ったよね?となります。

 

喧嘩の際、夫は一ヶ所に留まることができません。話をしている最中に家の中をウロウロしてしまうのです。

ウロウロされると集中して真面目な話ができません。相槌もなく返事もなく、家の中の色んなところに行くので聞いてるのか聞いていないのかも分からない。

ウロウロせず大人しく椅子に座ってと伝えます。

椅子に座ったと思いきや、今度は手元や足元が忙しくなります。飲み物が入っていないコップを何度も飲む仕草を繰り返すなど、とにかく落ち着きが無いのです。

この理由について後に夫は「話に飽きると会話内容が頭に全く入らなくなる」と答えています。わがままな子供かと突っ込みを入れたくなりますが、それも彼の特性です。


私はこれまでにあったことを説明し、あなたには多動だったり、拘りが強かったり、視野が狭かったり、マルチタスクができない傾向がある。

 

発達障害の疑いがあるから病院へ行って診察を受けてくれないか?とお願いしました。

 

 

夫は烈火のごとく怒りました

 


障害を持っていたら今の仕事ができるわけがないだろう!



この一点張りです。それでも私は根気強く説明します。

発達障害を持つ高学歴の人は多い、なぜなら自分の特性を強みに変えているから。

たぶんあなたは持ち前の集中力で頑張って今の立場に居るのだと思う。

集中しすぎるが故に私の存在が見えていない、一緒に居る意味がないと私が感じるのは事実で、もう少し視野を広く持ってもらいたいという提案だから、あなたが劣っているなんて一言も言っていないことを理解して欲しい。

 

 

刑務所に行った奴に障害があるなんて言われたくない

 


この話し合いをしたころ、私には「更生と回復をしている」実績がありませんでした。

毎日食事を作ることを続け、家の中は常に綺麗にし、ネイルスクールに通おうか迷っているときです。


出所して間もない人間に「あなたは発達障害だから病院行って」と言われても、なかなか納得できないと思います。

静香に言われる筋合いはない、自分のやってきたことを棚に上げて俺のことをとやかく言うな!

こう思われたら私は何も言えなくなってしまいます。


ですが今考えてみれば、私が刑務所へ行った事実と、夫の発達障害から夫婦生活が破綻するのは全く別の問題です。

あのころの私は自分のやらかした過去と、夫のASDやADHDの問題を混同してしまっていたんですよね。


散々迷惑を掛けた私が夫の発達障害を全面的に受け入れ、我慢しなくてはいけないことだと思い込んでいたのです。

 

 

夫が私の出所を待てた理由
厳しく接することができた理由

 

 

静香さんを愛していたから待ったんだよね、そう思う方がほとんどだと思いますが、実際はそうではありません。


これは夫に直接聞いているので間違いありませんが、私のことを愛してはいないと言われます。散々やらかしたんだから愛せるわけがない、と。


・じゃあ何で一緒に生活を共にできるの?と聞くと、俺の運命だと甘んじて受け入れているからと答えました。

・例えるなら輪廻転生的な苦行を与えられているってこと?と聞くと、それも多少はあるし静香の面倒をみることで自分が成長すると思う、と答えました。

・私が死んだら悲しいと思う?と聞くと、そのときにならないと分からないが泣くことはないと思う、と答えました。

 

 

夫が私の出所を待つことができたのは、発達障害のおかげだと私は考えています。


今でもそうですが、夫は常に自分の繭の中に閉じこもっています。殻ではなく「繭」です。

そこに私は存在せず、いい意味で居ても居なくても問題はありませんし、彼の中で日常は回っていきます。


この繭が私からすれば曲者で、非常に遮音性が高く、私の言葉は夫になかなか届きません。

夫からすれば静香がなんか言ってんな~、まぁいっか、本気で何か伝えたいならもっと言ってくるでしょ、くらいの感覚です。


私から繭を破れば話は聞いてくれます。が、夫から繭を破って出てくることもありません。


夫は超リアリストでもありますが、私との距離感をこの繭を通して保っていると考えます。

 

だから夫は「離婚はいつでもできる、早いか遅いかの差だ」とキッパリ宣言できるのです。

 

 

 

私がカサンドラ症候群になるのは時間の問題だと思いました

 

 

カサンドラ症候群と言う言葉を皆さんはご存知でしょうか?

カサンドラ症候群とは、発達障害特性のあるパートナーと安定的な関係を築くことの困難を感じている人々が抱える重いストレスを原因とする、身体的・精神的症状のことです。親子関係でも起こります。


夫は何も感じていない。けれど私は日常的にストレスを感じています。小さなことの積み重ねです。例えば、

・足元に落ちているゴミに気付かない
・視野が非常に狭く100度くらいしかないイメージ
・買い物のメモを持たせても買い忘れる
・具体的な指示をしないとニュアンスでは絶対に伝わらない
・聞こえているか聞こえていないか分からない(返事をしない)
・面と向かって口頭で説明をしているのに「聞いてない」という事が多い
・忘れっぽい
 

そんなの大したことないじゃーん、散々迷惑掛けたんだから多めに見なよ、と思う読者の方が多いと思いますが、私は出所後約7年間、これらの小さなイライラの積み重ねに耐えてきました。


発達障害だとやんわり伝えても、私の過去のやらかしから拒否・否定をされる。


夫は異常なまでに自己効力感が高いです。

私は夫から「発達障害だと認めてたまるか」という意地のようなものを感じていました。
 

 

そして私は7年が経過した今だからこそ、この人と一緒に居る意味はあるのだろうか?改めて仮釈放後に書いた日記を思い出すようになりました。

 

 

このままでは近い将来私が潰れる



そう思いました。私から離婚を切り出す日が来るかも知れない。

その前に再度、きちんと伝えてみよう。


日々の活動をコツコツ続け、国家資格キャリアコンサルタントに合格できる実力を身に着けた今なら、夫も耳を傾けてくれるのではないか。


私は夫を自分の部屋に呼び出します。
 

 

私の仕事上、あなたよりもこの分野に明るいことを前提として話を聞いてほしい。

これまで何度も喧嘩をしてきたけれど、その原因の多くはこの本に分かりやすく書かれている。図解になっているので付箋の部分を軽く読んでみてほしい。

 

こちらの本、大人の発達障害について分かりやすく絵で説明されています。夫に当てはまる部分に予め付箋をしておき、見てもらいます。


夫は「また発達障害の話かよ」という顔をしました。

けれど私のいつになく真剣な表情、それなりの覚悟を持って話をしている雰囲気が伝わったのでしょう、付箋の部分を読み始めました。

 

この部分はどう思う?

→うーん、自分ではそう思わないけど静香からはそう見えるんだね

これは?
→これは当てはまる。自分でもそう思う


こんなふうに一つ一つ潰していきます。

夫は自分を普通だと思っているので、当てはまる部分を見て「え、みんな普通はこう考えるんじゃないの?」と驚いた箇所もありました。

 

ここで夫がぽつんと言います。

 

 

静香に興味がない

 

 

俺は昔から他人に興味がない、だからハッキリ言って静香にも興味がない。

 

家に来た相談者さんは「何でそんなに忍耐強く静香さんを支えられたんですか?」って聞いてくるけど、俺は静香に興味がない、無関心だから出所を待てたんだと思うよ。

 


これが今の夫の精一杯の答えだと私は判断しました。


私に興味がない、無関心だからこそ出所を待つことができた。

その誰も寄せ付けない繭のようなものに私はずっと悩み、傷付き、どうすればいいか悩み続けてきたんだよと伝えました。


発達障害と聞くと障害と言う部分に目が行ってしまうけれど、障害ではなく特性だと捉えて欲しい。

その特性があるから今の仕事であなたは十分な力を発揮できている、特性は素晴らしいものなんだよ。

その素晴らしい特性も、ときに人を傷つける武器になってしまうことを頭の片隅に入れて欲しい。

病院で診察を受けろとは言わない、ただASDとADHDについて知ってほしい。



7年間の想いを私なりに伝えました。

 

 

自分でもネットで調べてみるよ

 


あれだけ発達障害という言葉を毛嫌いしていた夫が、自ら調べてみると言いました。


 

これは大きな大きな前進です。


本に書かれていることが自分に当てはまり、ぐうの音も出なくなったのもあるでしょう。

私が産業カウンセラーやキャリアコンサルタントの勉強をしていたのを間近で見ていたから、説得力が以前より増したのもあるでしょう。


伝えることを諦めなければいつか必ず本人に想いは届く。

 

7年の月日を経て実感することができました。


今日は湯浅静香の謎めいた夫の、ASD・ADHDグレー傾向について書かせていただきました。

 

意外なところもあったと思います。夫は優しいのではなく、リアリストで他人に興味がないのです。

 

もちろん優しい部分もありますが、私に興味が無いと言われたことは正直ショックでした。

 

ただそれも夫ならではの表現方法と特性であり、私がどこまで柔軟で居られるか、どこまで互いが譲り合えるかだと考えています。

 


長くなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。