先週のブログはお休みをいただき、伊勢神宮と熱田神宮へ行ってきました。

名古屋に住む相談者さんに矢場とんの味噌カツをご馳走になりました。とっても美味しかったです。


 





先々週のブログでは、私のブログの内容は厳しいと前科者や待ち人さんに思われていると書きました。

 

コメントをたくさんいただきました。その中でも読者の皆さんに読んでいただきたいと思ったコメントを抜粋します。

 

 

私のブログを厳しいと感じることが
「世間との溝」なのかも知れない

 

私は湯浅さんのブログに出会う前から、ダメなことはダメだと庇い立てしないスタンスでした。息子にはそれが不満だったようでうまくいっていませんが。

そんな私だから思うのかもしれませんが、湯浅さんのおっしゃっていることは「厳しい」ですか?世間一般の人のあり方として、わりと普通のことしか求めていないように感じます。

前科持ちや依存症者相手でなくとも普通のことです。それができなければ犯罪や依存に陥ることはなくとも、回りからは敬遠されることです。ちょっと過激すぎる意見かもしれませんね(苦笑)

「厳しい」と感じることが世間との溝なのかもしれないと、感じました。


私はこのように返信をしました。

 

私がブログでお伝えしている内容は決して厳しくないですが、前科を持つ者にとっては堅苦しく、そんなことを考えて生きている精神的余裕は無い。

待ち人さんにとっては自分の元へ帰ってくるだけで十分、共依存に陥り出所後の生活まで見通すことが出来ないと感じています。

世間一般の人の在り方として割と普通のことしか求めていない、コメント主さんの意見が「社会の大多数の意見」だとまず知ってもらうことが更生や回復に必須です。

私自身、元からこのような考えだった訳ではありません。薬が抜けて頭がクリアになり、現実を受け止めるようになって徐々に考え方が変化していきました。

コメント主さんの仰るように、厳しいと感じる前科者や待ち人さんは今の日本で上手く生きていくのは難しい。

自分がズレていることをまず認知しないと、更生も回復も進まないと私は思っています。
 

 

自分の感覚がズレているかも知れないと考えるきっかけやチャンスは、なかなか訪れるものではないと思います。

当然です。自分の人生が当たり前、または普通だと思って生きてきた方が殆どですから。

ここでアンラーン(unlearn)という考え方が役に立つと思います。(学び直し、学習棄却、学びほぐしと略されるそうです)

過去に学習した思考のクセや思い込みを手放し、初めて新たに成長する準備が整います。

 

 

自分の感覚がズレている事に気付いたのは刑務所



逮捕直前の私から、蜘蛛の子を散らすように人が離れていきました。

孤立して誰からも相手にされなくなり、唯一血が繋がっている母からは「このままではあの子に殺される」と言われ見捨てられ、刑務所へ行くことになりました。

刑務所まで落ちてやっと、自分の人生を真剣に振り返ってみようと思えるようになりました。


 

正確には服役することで自分の人生を振りかえざるを得ない状況に追い込まれたのです。


あんたズレてるよ!と誰かに言われ、素直に受け止められる人は少ないと思います。

自分がとことん痛い目を見て、初めて考え直す土台が生まれる。
 


中には刑務所へ行っても考え直す土台ができない人もいますが、そういう方は本当の意味で痛い目に遭っていないと私は考えます。


前科者が社会でやり直すには、他責することなく苦言を受け止める心の強さが必要です。

これは簡単に養えるものではありません。時間をかけてこれまでの人生を振り返り、弱い自分を知る、理解する必要があります。


情報量の多い外の世界で自分の人生を振り返るのはなかなか難しい。

ですから年単位の服役期間は絶好のチャンスなのです。

待ち人さんにはそのチャンスを奪わないで欲しい、自立・自律するきっかけを摘まないで欲しいと思います。


 

 

前科者に立ちはだかる壁

 

 

今日は西高童貞くんの身に実際に起きた出来事から、皆さんと一緒に前科者の更生が如何に難しいかを考えることができればと思います。


西高童貞くんは私のブログに何回か登場しています。Twitterはこちらです。

 

https://twitter.com/true_story0713


今年2月にわざわざ大阪から東京まで来てくれて、進藤さんの教会でお会いしたこともあります。

実に礼儀正しい好青年です。(写真一番右が西高くんです)


 

 

タイトル回収です。

彼がupしていたブログが、前科者に立ちはだかる一つの大きな壁です。
 

 

西高くんは賃貸物件を契約しようと申し込みをしましたが、実名報道をされているため、保証会社の判断で西高くんの名前で借りることができませんでした。

 

 

前科者に物件を貸すのはリスクでしかない

 


仮に私が犯罪とは無縁の大家だったらどうするか、考えます。

前科者に家を貸すのはリスクしかないと思うでしょう。

駅近や築浅の物件ならば尚更、わざわざ前科者に貸さずとも一般人に貸せばいいです。

家賃を滞納する一般人は一定数存在すると思いますが、その一般人と前科者を天秤にかけたとき果たしてどちらを優先するか。

いくら滞納をしたとしても、私は前科者より一般人を優先すると思います。


・もし詐欺の掛け子の拠点として使われたら?
・大麻の栽培に使われたら?
・何かしらの犯罪の私書箱代わりに使われたら?

 

私でもこれだけのリスクがパッと思い浮かびます。

事故物件になってしまった日には借り手がつかなくなり、相場よりも安く提供せざるを得なくなる。

そんなリスクは大家として絶対に追いたくありません。

 

 

 

前科者と聞いて想像すること



前科者と聞くと「また犯罪を犯すのではないか?」と想像する方が多いと思います。

昨年9月のブログに私はこう書いています。

 

な~にが生き直すだ!
二度あることは三度ある!
信じられない!
どうせまた同じことを繰り返すに決まっている!

 

世の中はこんな意見が多いでしょう。
このような意見が多い理由、今受刑されている方、元受刑者の方、答えられますか?

 

単純に再犯が多いからです。

 



前科者が再犯をしたとき、ニュースで「あの△△事件の犯人○○が再犯!」と大々的に取り上げられます。

このときの世間の反応は「あぁ、やっぱりねー」です。

再犯する人がごく一握りでも、それが大きく報道されれば大多数が再犯をするというバイアスがかかると思います。


こちらの指標は令和3年版 再犯防止推進白書よりお借りしました。

PDFを貼りますので興味のある方はぜひご覧になってください。

 

https://www.moj.go.jp/content/001341447.pdf

 

 

赤で囲った部分を見てください。平成15年から令和2年を見ると犯罪自体が約半分に減っており、初犯者数が大幅に激減していると書いてありますね。

2020年の再犯率は49.1%で1972年の調査開始以来最高となっています。

 

 

私を含め、前科者はどうせ再犯すると世間に思われています

 

 

そう思われている現実があって、出所という新たな人生がスタートします。

 

前科者は過去ではなく、頑張っている今を見て欲しいと思います。


皆さんは人を信用するにあたり何で判断をしますか?


身なり?
仕草?
言葉遣い?
お金を持っているか?


そんな上っ面ではなく、過去の経歴で信用するかしないかを決めませんか?


小さなことでいいです。想像してみてください。

いつも待ち合わせに遅れてくる友人で例えましょう。

友人は遅刻してばかりで待ち合わせでは自分がいつも待たされる。そんな友人が今日は時間通りに着いた。でも、だからって次も早く来るとは限らない。今回たまたま早く来たんだろうな。


こういうことは前科がある無し関係なく人間関係で日常的に起きていて、その人なりの物差しで人を信用する・しないを決めていると思います。

 

これが罪名は違えど前科となったとき、どうなるでしょう。

前科のある人間が「過去ではなく今の自分を見てください」と訴えたとします。

刑に服し罪は償いました。だからと言ってすぐに現在を見て、信用することができるでしょうか?

 

 

 

西高くんは今回の出来事を受け入れ、他責していません

 

僕の名前で賃貸を借りれない。日本はおかしい。
もっと刑務所を出所してきた人間を支援しろという話ではなく、こういう事もあるから前科なんてない方がいいという事実です。

 
ブログの本文から抜粋しています。

西高くんは自分の過ちのせいでこうなったことを、素直に受け入れています。


彼には私を含め、前科者の仲間がいます。

悪い仲間ではありません。

壁にぶち当たっても再犯という誘惑に負けず、外の世界で踏ん張る仲間がいます。

実名報道をされデジタルタトゥーが残っても、一生懸命生きる前科者の仲間が居ます。


そして私も西高くんもその仲間たちも、自業自得で今のような人生を送っていることを十分に理解しています。
 
 

 

このブログを読んでくださる皆さんに知っていただきたいです



自分の犯した過ちと引き換えに、

家が借りられません。
クレジットカードが作れません。
銀行口座が作れません。
安易に海外旅行に行けません。

他にも言い出したらキリがありませんが、

私たちは現実から逃げず、再犯をしないという生き方を選択しています。


そういう生き方をしている前科者がいることを、少しでも多くの方に知っていただきたいです。

そして日本がほんの少しでもいい、一発アウトではなく、真剣にやり直そうとしている前科者に対して寛容になれる日が来ることを願い、私はこれからも活動を続けていきたいと思います。


この西高くんのブログが、今まさに犯罪を犯している真っ只中の人たちに届くことを心から願います。