前回のブログでは、相談者さんのお話やブログのコメントからたくさんの気付きを得て、私も一緒に成長させていただいていると書きました。
誹謗中傷は別ですが、苦言や批判も自分を成長させる宝です。
母の命日が近付いています
母が亡くなったのは2017年6月4日です。今年で6年が経過しようとしています。
早いです。本当に早いです。
そしてもっと前に亡くなったような気がします。
多分その理由は、留置期間と服役期間を合わせて約2年4ヶ月、仮釈放から母の死まで約7ヶ月、計2年11ヶ月間一切顔を合わせることがなかったからです。
母は服役前の留置場、拘置所、刑務所ともに一切面会に来ることはありませんでしたし、公判の情状証人になることもしませんでした。
出所後もどこにいるか分からず、会えたと思ったら棺桶に入っていました。
私の知っている母はそこにはいませんでした。
幼少期は恐怖からとても大きく見えていた母ですが、棺桶の中で小さく、冷たくなっていました。
あんたは人間じゃない!
酷い母親!と思われる新しい読者の方がいらっしゃるかも知れません。
私が逮捕される直前の母は人工透析を週3回、4時間受けていました。
そんな母を平手で殴り、髪の毛を持って引きずり回しました。
お前の育て方が悪かったから今の私がここにいる。恨むならてめぇの過去を恨め!私を産んだことを後悔しろ!
そう言うと母も負けじと言い返してきます。「あんたは人間じゃない!」
幼いころに母から受けてきた暴力やネグレクト。
私はこれでもかと思いっきり仕返しをしました。思い知れ!どれだけ痛いか実際に味わえ!私が受けた痛みはこんなもんじゃない!
「人間じゃない?そんな私を産んだのは他でもないお前だろ?じゃあお前も人間じゃねぇよなぁ!?」
あの頃の私は、自分が受けた痛みと歪んだ復讐心を一緒くたにしていました。
私がおかしな道へ進んだことと、母の虐待・ネグレクト・両親の教育方針は全く別の問題です。
私はこのままじゃあの子に殺される
そう夫に言い残し、母は居場所を知らせることなく私の前から消えました。
正確には私から「逃げた」のですが、今なら分かります。
母は私から逃げざるを得なかったのです。
殺されると思っている人間の面会や情状証人になる人は、居ません。
私は母から捨てられて当然の仕打ちをしたのです。
私に虐待をしていた頃の母と
大体同じ年齢になりました。
私は12月で44歳になります。私に辛く当たっていた頃の母と大体同じ年齢になりました。
命日が近いなー、6月4日は日曜だから午前中に霊園へ行ってやるか。
そんなことを考えながらお風呂で髪の毛を洗っていました。鏡に映る自分を見ます。
歳を取りました。最近はあらゆる面で衰えを感じています。
でも43歳で白髪が一本もないのは有難い。今後白髪が生えてきたらカラーリングせず、近藤サトさんみたいなグレーヘアーになれればいいな。
…………遺伝か。
思い出します。私が小学生のころ、母は白髪が無いことを私に自慢していました。
母に白髪が生え始めたのは55歳を過ぎてからだと記憶しています。
「あんたは私と髪質が似ているからきっと白髪は生えないわ、感謝しなさいよ」
感謝ね。
そうだね、私はお母さんに似て肌はきめ細かいし、白髪はないし、首にシワが一本もない。そこは感謝してる。
あれだけ憎んだ母から
受け継いだものがたくさんある
母が私に激しいネグレクトをしていたのは40代。私も同じ年齢となりました。
母は40歳~55歳くらいまでが一番荒れ狂っていたと思います。
私は小学生から17歳くらいまで、母の逆鱗に触れないようビクビクしながら生活していました。
どれだけ顔色を伺って生活しても母の「逆鱗スイッチ」がどこにあるのか全く分からないので、結局いつも酷い仕打ちを受けていました。
母の閉経は早かったので、恐らく私も早く閉経するでしょう。
子どもを持つ気のない私にとって生理は煩わしい以外の何物でもありませんので、今すぐにでも閉経してほしいです。
白髪がないこと、肌のキメ、早めの閉経。これは気に入っている部分。
幼いころあれだけ嫌いだった母の嫌な部分も、両方受け継いでいるなと思います。
私と母は紛れもなく、血がつながっているんですよね。
母と同年代になって
子どものころの親は自分にとって絶対的な存在でした。
正しくて、当たり前を教えてくれる存在で、全てでした。
碧の森を始めて3年、現在43歳。
相談者さんのお話を聞いてきて、完璧な親など存在しないし、どんな親御さんも悩みながら子育てをして来たことが分かります。
お母さんもきっと悩んだだろうな。
私をどう育てていいか分からなかったんだろうな。
自分も虐待を受けてきたから、それが正しいと思ったんだろうな。(世代連鎖が起こった)
幼少期から30代中盤まで、恨みに恨んだ母。
服役中に散々自分の人生の振り返り、棚卸しをした現在、お母さんへの恨みの気持ちはなくなりましたか?と問われれば、完全に0になったわけではありません。
私が受けた心の痛みや傷は記憶に深く刻まれ、一生残り続けるからです。
過去の私と今の私の大きな違いは、慮る、想像することができるようになったこと。
母は私と言葉を交わす直前に亡くなったので、答えを聞くことは一生叶いません。
ですがそれもまた母からの宿題、プレゼントなんだろうなと思います。
あんたは一生をかけて考え続けなさい!
最近は母にそう言われているように感じています。
会う予定の4日前に母が死んだことにも、必ず意味がある。
これは私にとって都合の良い解釈ですが、それでいいと思っています。
都合の良い解釈をすることで、自分が成長できるのならそれでいい。
6月4日は最近の気付きや想いを、母へ報告して来ようと思います。
相変わらずTwitterは凍結中です
よっこい症子アカウントが凍結解除の妨げになっている可能性があるとアドバイスをいただき、アカウントを削除しました。
今後アカウントを作成するか分かりません。また進捗をお知らせできればと思います。