前回のブログでは私が夜の仕事をしている頃に、パチンコ屋で働いていたNを水商売の道へとスカウトしたこと、そのNが覚せい剤をやるようになってしまい、理由は分かりませんが自殺してしまったと書きました。

 

多くのコメントをいただきました。本当にありがとうございます。

 

自分にできることを、諦めずに続けていく。
今の私に出来ることを、コツコツやる。

 

読者の方には、「それはおかしいよ!」と思ったことがあれば、忌憚のないご意見をお聞かせいただきたいです。

 

それが私の成長へと必ず繋がり、碧の森をより良いものにするヒントが隠されていると思うからです。

 

これからも依存症子と碧の森を、温かい目で、時には厳しく、見守っていただければと思います。

 

 

20日(日)に進藤さんの教会へ、相談者さんと行ってきました。

 

 

この日に聞いた説教の中で、そうそう!と大きく頷くことがありましたので、ブログに残しておこうと思います。

 

皆さん、「プロフェッショナル」という言葉を一度は聞いた事があると思います。この語源はギリシャ語で、“公に宣言し続けるもの”という意味なんだそうです。

 

最初のクリスチャンは、クリスチャンになったというだけで首チョンパされた。

 

昔はクリスチャンになることは命がけだった、すなわちプロフェッショナルとは“命をかける者”、殉教することという意味があると教えてくださいました。

 

普段何気なく使っている言葉にそんな語源があるとは。進藤さんの説教はいつも為になることばかりですが、この日もへぇ~!!!と思うことがたくさんありました。

 

 

ヤクザの俺(過去)と牧師の俺(現在)、この2つしか見ていない

 

 

この日の説教のテーマは「信仰と忍耐はセット」、「成功と忍耐はセット」でした。

 

進藤さんは元ヤクザです。前科5犯で服役は3回、覚せい剤の売人をやっていました。

 

そんな進藤さんが服役中に聖書と出会い、出所後に神学校へ通い、今では埼玉県川口市の教会で立派に牧師をされています。

 

 

私は立川拘置所で進藤さんの講話を聞き、更生した一人です。

 

 

これはもう何度もブログで書いていますが、進藤さんの講話を聞いていなかったら、今の私は存在しません。

 

出所後は夫と離婚し、また元のような自堕落な生活へ戻ったでしょう。そうなればもちろん、碧の森は存在しません。

 

そして恐らく、野垂れ死んでいたと思います。

 

進藤さんのプロフィールはこちらです↓

 

 

進藤さんが刑務所で講演できるようになったのは、牧師になってから6年後です。

 

 

講演を聞いた人から手紙が来て、牧師になりたいという人がたくさんいるそうです。それはとっても良い事だとおっしゃっていました。

ただ、そういう人が出所後に神学校に通っても、長続きしないことの方が多いそうです。

 

それは何故か?

 

 

牧師になるまでひたすら努力をした、進藤龍也を見ていないのです。

 

 

「ヤクザの時の進藤龍也を知ってて、そういう人から手紙が来ます。お前すげぇ偉くなったなぁと。昔の僕と今刑務所で講演できる僕、この二つしか見ていないんです。」

 

 

この言葉を聞いたとき、拘置所での私を思い出しました。

 

漠然と「出所したら進藤さんみたいになれるんだ!!!」そう思った自分が居ました。

 

私はヤクザのときの進藤龍也と、牧師として出来上がった進藤龍也しか、知らなかったのです……。

 

 

出所後にたくさんの問題が見えます。もう嫌になるほど。

 

 

考えてみてください。

 

・毎日夕方に起きているような人間が、早起きできるでしょうか?
・まともな職に就いたことのない人間が、社会の仕組みを理解できているでしょうか?
・集団生活を不得意としていた人間が、誰かと何かを成し遂げることができるでしょうか?

 

上記は受刑する前の、過去の私です。

 

刑務所で規則正しい生活をして、健康的に3食食べ、ちゃんと働いて、刑期の間は嫌でも出来るようになります。

 

これをやらなければ懲罰になりますから、少しでも早くここから出たいと思うから従うわけです。

 

それは刑務所側から、社会から与えられている“刑罰”であって、自らの意志でやっていることではないんですよね。

 

 

立ちはだかる壁に対して選択肢は二つ

 

 

受刑者や前科者は多かれ少なかれ、社会から外れた(はぐれた)人間です

 

そんなマイナススタートの人間が、いきなり社会に放り出されたらどうなると思いますか?

 

何をどうすればいいか、何をやればいいのか分からなくなってしまったり、人生の迷子になってしまうのが現実です。

 

 

出所後に起こる問題にどう対処していくか?何を選択して行くのか?

 

ここで踏ん張って頑張るか、また昔に戻るか、この2択しかないと私は思っています。

 

 

出所後の私が、簡単にここまで来れたと思いますか?

 

 

そのように思っている方が居るなら、それは間違いです。

 

冒頭に書かせていただいた、進藤さんのお話と同じです。私も出所から5年で、やっと、やっと碧の森を形にすることが出来ました。

 

ここに至るまで、ブログに書いていないこともまだありますが、本当に苦労しました。

 

 

マジで辛かった。

 

今だって辛いことはある。

 

 

この辛さは、思春期や青年期を真面目に過ごしていれば、しなくて済んだ苦労です。

 

私はそれを全力で投げ出して生きてきました。

 

 

だからこんないい歳をして、苦労する羽目になったのです。

 

 

プロセスが自分自身をつくる

 

 

これは進藤さんの言葉です。もう、本当におっしゃる通りです。

 

 

・私は出所後、真面目に生きてきた人たちとお話をするようになりました。「そういう価値観があるんだ!」と学ぶと同時に、自分の方が正しいと意見を押し付けることもありました。

 

・ネイルスクールに通うようになってからは、私より20歳近く年が離れているのに、一生懸命頑張っている子をたくさん見ました。それを見て、ものすごい劣等感が襲ってきます。「私、この子たちの歳のとき、何やってたんだよ……」

 

・ネイリスト試験の筆記を学ぶようになって、何て記憶力が悪いんだと思い知らされます。これは向精神薬の後遺症でもあると思っているので、物覚えの悪さに果てしなく後悔します。

 

・夫との日々の生活では、自分がやらかしてきたことで一切の信用を得られず、本当に苦痛を味わいました。これも自業自得ですし、夫のほうがもっと苦痛です。

 

 

書き出したら止まらないのでこのあたりで止めますが、これらのプロセスを経て、今の依存症子、湯浅静香が存在するのです。

 

 

出所後にいきなりまともになれる???

 

とんでもありません。

 

 

ここまで来るのに5年かかっています

 

 

たった5年、されど5年。

 

この5年間、年齢も性別も違う人とお付き合いを重ねる中で、私は大きく成長できたと思っています。

 

考え方は以前よりも柔軟になり、物事を投げ出すことをしなくなり、真摯に向き合えるようになりました。

 

 

大切なのは、ここまでどうやって辿り着いたかだと、進藤さんの説教を聞いて再確認しました。

 

 

悪銭身に付かず

 

 

今よりも逮捕前の方が圧倒的に稼いでいました。1日で40万近く稼いだこともある。でも何に使ったか全然覚えていないし、何も残っていません。

 

では、今はどうでしょう?

 

碧の森で相談者さんからいただいたお金と、夜の仕事や風俗をしていたときのお金、重みが全く違います。

 

相談者の皆さんも、このブログの読者さんも、蜘蛛の糸を辿るような思いでここまで来てくださったと思っています。

 

そのご縁を大切に、目の前の人の最善は何なのか?そう考えるほど、いただくお金も重さを増します。

 

 

そう思えるようになったのは、自分が昔よりも成長できているからです。

 

 

この成長は、進藤さんもそうであったように、短期間では絶対に無理です。

もがくような苦しさがあって、今がある。

 

 

苦しいのはみんな嫌です。私も嫌。

 

でもそのもがき苦しんだ先に、これまで感じたことのないような幸せ、見たことのない世界が必ず待っています。

 

 

このブログを読んでくださる皆さん、特に受刑者の方には、そこに至るまでの過程を大切にし、考えてほしいと思います。