龍馬通り。坂本龍馬をはじめとした亀山社中の同志達が上り下りした道筋が現在「龍馬通り」と呼ばれています。けっこうな坂道ですが、いい運動になりました。
亀山社中とは、坂本龍馬が中心となり結成した組織「海援隊」の前身とされていて、海援隊と同様に商社のような活動をしていた組織というのが定説です。しかしながら、亀山社中結成当時、坂本龍馬は不在だった可能性があり、結成に立ち会ったのは近藤長次郎と高松太郎らであったと、2010年代以降、亀山社中の実態に関して定説を修正・否定する見解が示されているようです。
龍馬通りと呼ばれ親しまれている道筋が、龍馬不在だったという可能性もあるわけですね…
ですが、亀山社中の実態はどうあれ、龍馬不在は結成当時で、活動期間中は、何度もこの坂道を上り下りしていたはず、です。
龍馬通りに入り、坂道を歩いてすぐのところに、近藤長次郎の解説板があります。この地点が近藤長次郎に関連があるのだろうか?と思いましたが、龍馬通りの道筋の所々に、亀山社中や海援隊メンバーの解説板が設置されていました。
近藤長次郎は、亀山社中のメンバーで結成に立ち会った1人で経理を担当していました。語学力(特に英語)が高く、貿易や海外事情に通じていたことなどから、龍馬に重宝されていたようです。ただ長次郎は隊規違反を起こし、亀山社中内部に命じられ切腹死したとされています。当時龍馬は京都に居て長次郎の死を知らず、死を知ると大変悔やんだと伝えられています。
そんな悲劇的な最期を遂げた長次郎ですが、ドラマなどでは、饅頭屋に生まれたことから「饅頭屋」という愛称(そのままですが…笑)で呼ばれ親しまれていますよね。
2010年大河ドラマ「龍馬伝」では、大泉洋さんが演じており、龍馬(主演・福山雅治)の弟分的な存在でした。坂本龍馬を演じた福山雅治さんとは、現在テレビドラマ・映画「ラストマン」で主演・福山さんとバディを組み、息ぴったりな関係ですよね。
坂を登ると、陸奥宗光(海援隊メンバーで龍馬の思想に強い影響を受けた弟分的存在。明治政府では外交官として活躍)
そして、沢村惣之丞(亀山社中創設メンバーの1人、事務・調整役として、常に近くで龍馬を支えた人物)
そして、中島信行(幕末に龍馬の兄貴分的存在であった武市半平太が主導した尊皇攘夷思想を掲げる志士のグループ「土佐勤王党」として活動し、龍馬の仲間でもあった明治時代の政治家。亀山社中、海援隊のメンバーでは無かったようです。)
っと、龍馬と親しい人物の解説板が続き、亀山社中跡まで案内してくれます。
今回はここまでとしまして、亀山社中跡はPart04で…!!何だか出し惜しみするようで、すいません…(苦笑)






