渡航中のkozyから「今は死んでいます」と
LINEがきてから、音信不通になった。
はて???
ICDが作動するような事態が起きればさすがに
パスポートを頼りに連絡が来るだろう。
ICDの手帳、肌身離さず持っているよね???
数日経った今日、ビーチの写真が送られてきた。
良かったよ、楽しく過ごせているのなら。


2016年 夏、
特発性拡張型心筋症のICが始まるや否や、不安と恐怖から卒倒しストレッチャーで運ばれて行った本人kozyの同席なく、主治医からの話の続きを聞くことになった。
噛み砕いて話してくださるので、専門用語で話して頂いて良いと思い、自分の職種を告げた。
なら話し易いと、現状を再度詳細に説明頂いた。
『最終手段は移植です』このくだりはドラマのようで、完全にデソシエイト(外から自分を眺める状態)していた。
心臓移植かぁ、、、

そして、私はすかさずこう尋ねた。
『もし先生のご家族が同じご病気で今のような状況になられた場合、どこでどのような治療法を選択なさいますか?県内外、国内外問いません。病院と治療法の選択肢のお知恵をください<(_ _)>』
なるほど、と思える答えをくださった。


全く脱線するけれど、
今、こうやって文字に書いていて更に思い出した別story…
2000年 直腸癌からの肝臓転移の術後
手術も知らされていなかったが、父の術後の経過が悪いと連絡を受け、緊急帰国し病院に向かった。
医療ミスか…(この話もやがて綴ってみよう、未だに苦しくてあの頃書き留めていたノートは見ていないけど)
その後一命を取り留めた父への今後の治療法の模索を始めた。
力になってくださった次の病院の主治医や知人医師から、日本全国の名高いDr.の名を教えて頂き、その中のお一人に不躾にも直接メールで相談申し上げる事にした。
『現在、かくかくしかじか…このような状況です。どうか最善の治療法をお教えください』
その教授は大変丁寧な返信をくださった。
それは大いに参考になる内容であった。


2000年も2013年も2016年も予備知識無しでは挑めない事案に遭遇。
そしてその時の自分に出来る限りの最大で動きたいと考え行動する私がいた。
無心に、ただひたすら。
少しでも多くの情報を集めたいとやみくもに模索を繰り返す毎日。
『捨てる神あれば拾う神あり』で、いつの時も多くの方々に拾って頂き力を頂戴してきた。


誰しも同じようにピンチな状況・境遇に立った時、出来るだけ最善を尽くしたいと考え、出来るだけ多くの情報を知り得たいと思うと思う。
少なくとも私はそうだったから。
今あの時の私と同じような状況・境遇に立たされている方がお困りであれば、今となっては古いかもしれない情報や、進行形の事案も抱えているので、少しでも何かしらのお役に立てたら嬉しい。


phot by kozy