日本国内で教えていらっしゃる先生方はおそらく
あまり直面しない問題かもしれませんが、
イタリアでたまにあることは、
学生が文字表記の授業を拒否する
ということなんです。
グループレッスンでは2年くらい前からいっそう
力を入れて文字表記を扱うようにしたので
そういう人は正直、グループレッスンは
遠慮してもらっています。
日本人観光客が来るお店で働いているから、とか
ちょっとした挨拶程度ができるようになりたいから、
などという理由で、
私は文字表記には興味がない
というんです。

ひらがな、カタカナ、そして漢字は日本語のリズム
や構成、そして授業が進むにつれて増えてくる
語彙の多さに対応するためにとても大切です。
確かに、自分の名前を言う、値段を聞く、といった
限られたシチュエーションであれば
ローマ字のみでも学習できます。
ですからそのような学習がダメというのではなく
あくまでも、それでは限界が見えている、と
いうことを分かってほしいのです。
日本語の漢字は訓読みと音読みからなり、
それらにはまったくつながりがないにもかかわらず
私たち日本人は当然のように
”学ぶ”は”ガク”だ、と認識しています。
これって、すごいことだと思いませんか?
実は漢字を勉強することで私たちはすでに
バイリンガルの要素を持った頭の構造を
しているんです。
よく学生にも言うのですが、
例えば”ガク”という音読みのほかに
”スタディ”という読みも入れて覚えたとしても
音読みが一つ増えただけで、考え方は同じです。
これは、たとえ自ら漢字を書く必要がなくても
日本語の構造を学ぶ上ではとても大切でし
実を言うと、日本語の中でとっても面白い部分
なのではないかと思います。
ですから、教師はこういった”おもしろさ”をいかに
伝えて、漢字=難しい、めんどくさい
という意識をなくさせるか、が、課題だと思います。
あまり直面しない問題かもしれませんが、
イタリアでたまにあることは、
学生が文字表記の授業を拒否する
ということなんです。
グループレッスンでは2年くらい前からいっそう
力を入れて文字表記を扱うようにしたので
そういう人は正直、グループレッスンは
遠慮してもらっています。
日本人観光客が来るお店で働いているから、とか
ちょっとした挨拶程度ができるようになりたいから、
などという理由で、
私は文字表記には興味がない
というんです。

ひらがな、カタカナ、そして漢字は日本語のリズム
や構成、そして授業が進むにつれて増えてくる
語彙の多さに対応するためにとても大切です。
確かに、自分の名前を言う、値段を聞く、といった
限られたシチュエーションであれば
ローマ字のみでも学習できます。
ですからそのような学習がダメというのではなく
あくまでも、それでは限界が見えている、と
いうことを分かってほしいのです。
日本語の漢字は訓読みと音読みからなり、
それらにはまったくつながりがないにもかかわらず
私たち日本人は当然のように
”学ぶ”は”ガク”だ、と認識しています。
これって、すごいことだと思いませんか?
実は漢字を勉強することで私たちはすでに
バイリンガルの要素を持った頭の構造を
しているんです。
よく学生にも言うのですが、
例えば”ガク”という音読みのほかに
”スタディ”という読みも入れて覚えたとしても
音読みが一つ増えただけで、考え方は同じです。
これは、たとえ自ら漢字を書く必要がなくても
日本語の構造を学ぶ上ではとても大切でし
実を言うと、日本語の中でとっても面白い部分
なのではないかと思います。
ですから、教師はこういった”おもしろさ”をいかに
伝えて、漢字=難しい、めんどくさい
という意識をなくさせるか、が、課題だと思います。