立憲民主党と国民民主党の合流を巡り、昨日、国民民主党の玉木代表は国民民主党を分党し、自身は合流に参加しないと述べた。

 

約1年前の2019年7月31日に記したブログを加筆・修正し再載する。

 

かつて二大政党制の一翼だった新進党は1997年末に解党した。

 

解党前の1996年に羽田孜氏等が離党し、太陽党が結成された。また、97年にも細川護熙氏等が離党し、フロム・ファイブが結成される。

 

解党した新進党は自由党、新党友愛、新党平和(公明衆院)、国民の声、黎明クラブ(公明参院)、改革クラブに分裂した。


その後、1998年1月に太陽党、国民の声、フロム・ファイブは合併し民政党が結成される。また、新党さきがけ、社会党から離党した鳩山由紀夫氏等のグループは民主党(旧)を結党している。

 

1998年4月には民主党、民政党、新党友愛、民主改革連合によって民主党が結党される。2003年には小沢一郎氏率いる自由党と合併し、2007年参院選に勝利し、2009年に政権交代を果たした。


2009年政権交代の背景には、自民党による長期政権に対する反発が強かった。2001年4月〜2006年9月迄続いた小泉政権の改革によって国民にばかり痛みを押し付けられ、それを引き継いだ安倍政権が2007年参院選で敗れ、ねじれ国会の中、福田、麻生も短命政権に終わる。


民主党政権も消費税増税を巡りその後、離党者が続出し、次々と新党大地・真民主、新党きづな、国民の生活が第一、みどりの風、日本維新の会等の新党が結党され、2012年に政権から転落する。


また、第三極といわれたみんなの党は離党者が結の党を結党した後に消滅へ。日本維新の会は再編のあり方を巡り、次世代の党と分裂後に結の党と合併し維新の党を結党するも、民主党との合併を巡り、おおさか維新の会(のちの日本維新の会)と分裂し、民主党と維新の党は民進党を結党するものの一度も総選挙を戦わずして小池百合子氏が結党した希望の党へ合流するも、一部が反発し、希望の党、立憲民主党、民進党(参院)に分裂し、希望の党は民進党(参院)と合併し国民民主党を結党。希望の党結党に動いた保守派はその後、次々と自民党へと入党していく。


2019年4月に平成最後となる政党合併で自由党は解党し国民民主党に所属議員が合流した。2019年夏の参院選では、れいわ新選組、NHKから国民を守る党が諸派から、議席数と得票率により政党要件を満たした。

 

2020年初旬、立憲民主党と国民民主党は合流協議を行うも最終的に決裂。だが、解散風が吹き荒れ夏に再び協議するも、政策が折り合えず国民民主党の玉木代表は国民民主党の分党を決断し、合流組と残留組に分かれる。国民民主党の前原議員は日本維新の会との勉強会を立ち上げ、保守派と維新との連携も注目される。


2012年以降、「安倍一強」と言われるように、自民党内にも安倍総理に対する強力な対抗馬はおらず、野党は立憲民主、国民民主、日本維新の会、共産党、社民党とどの党も衆参両院の議員数が100名を超す政党が現れない状況が生まれている。

 

立憲民主党と国民民主党の合流は、自民党に対抗する為には数を集めなければいけないという「数の論理」で動いたが、有権者はこれまでの野党の離合集散を見てきて政策ではなく「数」に政治がこだわる姿に辟易している。

 

そのような中、2012年以降「安倍一強」と言われた安倍政治も新型コロナの対応を巡って不信感が高まりはじめた。また、ポスト・安倍もこれといったカリスマ性のある候補がいないのが現状だ。


決して、自民党が盤石というわけでもないし、政権交代は可能だ。しかし、本気で政権交代を狙う政治家と政党が現れない限りそれは不可能だ。

 

野党は1996年以来、離合集散を繰り返しているが、現在の過程は民主党(旧)が結党され、民主党(新)が誕生し、政権交代へ進む過程と似ているのかもしれない。

 

日本の政界は今後は自民党の一部、そして各野党との離合集散が加速していくと思うが、次のステージまでの移行期間が5年なのか、10年なのかかは誰も分からない。

 

この歴史は日本では政党政治が始まってからは常に同じ。歴史は繰り返す。

 

令和の時代は政治は激動する。