江戸後期、1828年(文政11年)九州大洪水、1833年~1836年(天保4年~7年)天保の大飢饉と未曽有の災害が我が国を襲った。物価は高騰し、餓死者は多数でて、各地で百姓一揆等も多発した。

 

そのような現状を見た、大坂町奉行与力の大塩平八郎は人々への救済策を上申するも拒否され続けた。そのような中、大坂町奉行は新将軍徳川家慶就任儀式のために米を江戸へ廻送し、また豪商も利益を得るために米の買い占めを行っていた。

 

大塩平八郎の怒りは募り、米や金銭を人々に分け与える為に挙兵する事を決意した。彼は資材を投げ売り、武装蜂起に備え武器を購入するとともに、人々を訓練した。

 

1837年(天保8年)2月19日、幕政批判の檄文をしたため、「救民」を旗印に乱を起こした。

 

檄文は「四海こんきういたし候ハゝ天祿ながくたゝん小人に 國家をおさめしめば災害并至」と綴られはじめ、人民が困窮しているのに「小人」が政治を行い、米や金を取り立てる事ばかりに奔走していると当時の政治・行政を強く糾弾している。

 

乱は半日で鎮圧され失敗に終わったが、大塩の乱は全国に伝わり人々に衝撃を与えた。この事件以降、幕府の権威は落ち、幕藩体制に深刻な影響を与え、約30年後に戊辰戦争が勃発し、幕府の滅亡と明治維新の達成へとつながっていく。

 

新型コロナウィルスでの惨状は当時と似ている。国民の苦しさを一向に政治が理解せず、スピード感もない状況がうまれている。

 

新型コロナウィルスで政治が機能せず、新55年体制と言われる既成政党による政治の限界と中央集権体制の機能不全が露呈し、その結果が新型コロナウィルスの蔓延を許し、二転三転しスピード感のない経済対策となっている。

 

いずれ、現代にも大塩平八郎のような人はでてくるし、この新型コロナが一つのきっかけとなり、政治は民衆の力で大きくかわっていくだろう。

 

今の、政治は変えなきゃいけない。