立憲民主党と国民民主党の年内合併の話があがっている。年内かどうかは分からないが、二つの政党が合併するのは必然だと思う。

 

旧民進党関係者を中心に「バラバラではダメだ」論が過熱し、それに向けた動きもでている。小選挙区制比例代表並立制という制度上、政党の数が増え選択肢が増えれば歴史的でまた組織力もある自民党が有利に展開するという事情もある。政権交代を成し遂げる為に一つになるというのが彼らの狙いだ。

 

ただ、同時に過去の衆院選で示された民意をしっかりと政党や政治家は受け止めるべきだったのではないのか。旧民進党は民進党のままでは選挙を戦えないという事情が民進党の希望の党合流という党としての決定になった。小池希望の党代表の「排除」発言がきっかけで、希望の党に行けない人々が立憲民主党を結党し、また参院を中心に民進党が存続するというものになった。17年の総選挙では民進党は誰一人、立候補しなかった。選挙結果は立憲民主党55、希望の党50というものだった。旧民進党と両党をカウントするなら両党で105議席の獲得だが、それぞれを支持する民意は全く違ったものだった。

 

その後、希望の党は小池代表の辞任とともに、全く違う政党になり、民進党と合併し国民民主党になった。永田町の論理では、立憲民主党と国民民主党が合併すれば足し算になるのだろうが、選挙で示された民意を政治家や政党が理解しないのであれば、彼らは受け皿となり得ない。それは、希望の党の議席を有しながら政党として変質し、また民進党と合併し、低迷が続く国民民主党の現状をみても明らかだ。2012年以降の安倍一強体制をみると、その都度都合よく振る舞う旧民主・旧民進党の存在が混乱に拍車をかけ、政権交代を遠のかせ、安倍一強体制を強固なものへとしている。

 

国民の声を無視するのが当たり前になり、また民主主義の結果も政治家や政党が勝手に都合よく変えていくのなら、日本の民主主義はいつまでも成熟しない。安倍政権は嫌いだが、野党はもっと嫌いという国民の心境は理解できる。そのような意味では旧民進党の政治に対する罪は重い。