815日を迎える。この時期になると、戦争というものを深く考えさせられる。現代の価値観で、善悪を論評しても仕方がないし、我々は過去からどう学び、同じ悲劇をどう繰り返えさないか過去を通して未来を見なければならない。


そのような中、靖國参拝が常に出てくる。東京裁判の先の大戦の指導者であるA級戦犯が祀られている場所に政治家等が参拝する事が内外で波紋をよんでいる。


私は現職参議院議員時代に春と秋の例大祭は参拝していた。国の存亡に命をかけて守ろうとした人々を国会議員としてお参りするのは当然という考えからだった。


中には、戦時下で悪い犯罪に手を染めた者もいたと思う。日本を敗戦に導いた指導者は東京裁判でなくとも裁かれていたとも思う。


ただ、それらの一部の悪人がいたからといって、他の勇敢に純粋な気持ちで戦い、家族や国の為に命を捧げた人々を無視していいとは思わない。


先人達に対する感謝の気持ちがないと、この国は必ず同じ過ちを繰り返す。


ただ、同時に政教分離の問題はある。


私自身、代々のクリスチャン家系に生まれ、宗教的な価値観から言えば、感謝をしつつも参拝できない人々の気持ちは理解できる。


そのような意味では、靖國とは別に国が管理する追悼施設というのは必要だと考える。


兵士・民間人の壁を越えて先の大戦で裁判を含めて命を落とした人々を誰もが参れる場所は必要だ。沖縄にある平和祈念公園のような施設が一つのモデルになるのでは。


靖國の「分祀」論もあるが、宗教上の分祀とは御霊を分ける事であり、取り除く事ではない。また、政教分離の問題上、政治が口を挟むべきではないと考える。


戦後74年。未だに国の為に命を捧げた人々が安らかに眠れない状況を、我々、現代に生きる日本人が作らないといけない。