財務省の福田次官によるセクハラ発言問題をみていると、日本の社会は「セクハラ」というものをしっかりと理解していないのではないかと感じる。

 

そして、セクハラ被害を訴えた側に対しての中傷も未だに続いている。

 

特に、こういった問題に素早い対応、そして解消を目指さなければならない日本の仕組みを作る政治や行政の側に「セクハラ」に対する問題意識の欠如をすごく感じる。

 

麻生財務大臣は「男の番(記者)に替えればいいだけじゃないか」や「次官の番(記者)をみんな男にすれば解決する話なんだよ」と事の重要性に気付いていない発言をし、下村元文科大臣は「ある意味で犯罪だ」と記者が福田次官の発言を録音し週刊誌に渡した事に関して批難した。

 

確かに、テレビ朝日が社として被害に合わないように配慮が欠けていた事は言うまでもないが、だからといって福田次官の行いが肯定されるものでもない。

 

また、我が国は女性の社会進出を促している。女性としても様々な分野で自らの力を発揮したいと願う今日で、「女性」である事が理由として排除される事はあってはならない。

 

そもそもが、日本の男性が社会が気を付けていなければならない事を、女性の対応の責任に転嫁する姿勢というのは、国際社会でそれなりの地位にいる日本がとるべき姿勢ではない。

 

この福田次官の発言はどのような場で、どのような相手だろうと、パートナー以外に対する発言としては、セクハラなのだ。

 

福田次官は辞任を表明した際に「言葉遊びのところは結構ご批判を受けた。というのはなるほど、今の時代はそういう感じなのか」と述べたが、この感覚の方が政治以外での実質の日本のトップというのには驚愕するし、日本の現代の社会を表しているといっても過言ではない。

 

ある国際調査の男女間の格差を数値化したランキングでは調査対象の世界130ケ国中、日本は98位となっている。セクハラの問題や、その後に続く様々な発言をみていても、どこかでまだ日本は「男尊女卑」であり、様々な不平等の下に、どこかで女性を下にみようとする傾向があり、データでもこのように示されているのではなかろうか。

 

色々な意味で、この福田財務次官の「セクハラ」発言は日本社会の喉に刺さっている棘をとるきっかけになるのかもしれない。

 

政治はこの「セクハラ」発言を単に麻生大臣の首をとる政局にするのではなく、日本を開かれた国にする為のきっかけにしていただきたい。

 

くしくも、安倍内閣は「女性が輝く日本へ」とのスローガンを掲げて、アベノミクスの3本目の矢である「成長戦略」の中で女性が輝く日本をつくるための政策を掲げられている。

 

これは、安倍内閣だけでなく、どの党が政権を獲ったとしても、誰が内閣総理大臣になっても目指さなければならない、日本の課題でもある。そのような中で、日本の女性が輝いていく為にも、このセクハラ問題を政局では終わらせてならいし、小さな問題にしてはならない。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180424-00000029-jij-pol