僕は本を同時並行で数冊読むようにしてます。基本、あまり小説は最近読まないのですが久しぶりに一冊小説を読んでます。

 

ジョージ・オーウェルの「1984」を読んでます。社会学を学んでいたのでジョージ・オーウェルの「1984」は読まなくてもあらすじは知ってますし、同氏が書いた「動物農場」は読みました。

 

そんな「1984」はトランプ政権が誕生して以降、アメリカで再び注目されているようです。独裁体制下での監視体制が描かれいるわけです。

 

テロ等準備罪で「日本も監視社会になる!」と声高に叫ぶ方々もいらっしゃいますが、パレルモ条約加盟国が全て監視国家になってるわけでもなく、準備罪・共謀罪の有無に関わらず監視社会になる国、ならない国はあるわけです。

 

逆に私は共謀罪がなくとも日本は既に監視社会にはなっているのではないかと思います。良い悪いかは別として、このように情報伝達の手段が多岐に渡り発達する中、監視は依然より簡単でしょうし、また少なからず犯罪者逮捕等の恩恵もあったりする。

 

あの9・11同時多発テロの主導者ウサマ・ビンラディンを捜しだした際も、アメリカの主張が正しいなら(別説もあります)、数多くの電話記録からビンラディンに繋がる特定の人物を見つけだしたわけです。

 

この監視には良い部分と悪い部分が存在します。これは監視に限らず、世の中のあらゆる物は良い部分と悪い部分があり、そこを悪い部分だけ強調したり、良い部分だけ強調しても意味はありません。

 

権力の暴走を危惧する気持ちは分かりますが、民主主義がしっかりと機能し、市民やメディアがしっかりと政治や行政を監視し、コントロールすれば間違いはおこりません。