来年で施行されて70年になる日本国憲法。これまで、この憲法を巡って「合憲」か「違憲」かの論争は絶えずありました。さかのぼれば、「自衛隊は違憲か合憲か?」、最近であれば安保法制や一票の格差も違憲なのか合憲なのか司法の場でも争われたわけです。
その度に、政治家や憲法学者、はたまた元最高裁裁判官や、元内閣法制局長官などが自論を展開されます。その自論を後ろ盾に、「ほれ、合憲だ!」とか「違憲だ!」とさらに議論がヒートアップするのですが、何も決定権がない方々の意見が重宝されたりまします。
そもそも、一つの文章を勝手に誰かが解釈を変更する事に私は違和感を感じます。特に、以前はこういう解釈だったのに、次はこういう解釈になっているというのが果たして正しいのか?
ただ、時の権力者には少しはその権限があるのかもしれません。しかし、それは大きく従来の主張と逸脱してよいはずもありません。また、内閣法制局が勝手に解釈して良い話でもないし、政権を勝手に縛ってよいはずもありません。
今のままでは、今後もこの「違憲or 合憲」論争は続くでしょうし、勝手な解釈を展開する方も現れるでしょうし、何の権限もないのに無責任に勝手な事をいう人もいるでしょう。
だからこそ、ドイツなどのように憲法裁判所を持つ必要性があるのではないでしょうか。日本では確かに三権分立で司法権は独立しておりますが、政治に気を使って踏み込んだ判決を出せない事が多々あるわけです。
我々、おおさか維新の会は憲法改正による「憲法裁判所」の設置を主張しております。その理由としては、政治や行政による恣意的憲法解釈を許さない為です。
考え方の違いはあるものの、これは護憲派と言われる人たちの為にもなると思います。「解釈改憲、反対!」と安保法制の時に叫んでましたが、この憲法裁判所の設置が憲法改正で出来れば、勝手な解釈変更というのは今よりはできなくなります。
だからこそ、憲法改正反対の人々にも、この憲法裁判所設置の憲法改正には賛成してもらいたいと思います。
我々、おおさか維新の会は憲法改正勢力ではありますが、決して自民党の補完勢力ではなく、本当にこの国に必要な改革や見直しが必要な事を提案していく政党であり、その為に憲法改正を主張しております。