政治で繰り返される相次ぐスキャンダル。

どうも、政治家のスキャンダル対応を見ていると、しっかりとした危機管理が出来ているものだとは言い難いと感じます。

舛添東京都知事も改革派の仮面が剥がれてきたのか窮地に追い込まれてますし、私の住む宮崎市の市議会議員が不倫スキャンダル報道で辞職しました。

政治家の出処進退は本人が決断する事ですが、対応を誤ればスキャンダルは大きくなり、本人の意思とは関係なしに、辞任しなければいけなく事例は多々あります。

宮崎市議も舛添知事も、マスコミへの対応が非常にまずいものだなと感じました。宮崎市議の場合は「(弁護士は)まだ応じなくていいとのことなので」などカメラの前で認めているのか、認めていないのか分からない対応に終始し、最終的には自らの責任の取り方も含めて曖昧だが言及してしまった。舛添知事の場合も政治資金の私的流用に関して謝罪しているのか、言い訳をしているのか分からない対応になっておりました。その対応の不十分さから、事が想定よりも大きくなり辞職もしくは、辞任の危機に追い込まれたのではないでしょうか。

こういったスキャンダルへの危機管理は初動が肝心と言われており、マスコミと言うフィルターを通して「その人」がいかに誠実に対応しているかを見せなければ、自分の弁明が余計に自分の首を絞める事になりかねません。

ここは危機管理の鉄則であります。

舛添知事も宮崎市議も誠実に対応し、素直に謝罪しておけば、ここまで事は大きくならなかったでしょうし、立場にとどまりながらやり直す事は可能だったと思います。

私が初めて危機管理という言葉を聞いたのはクリントン・アメリカ大統領が起こしたモニカ・ルインスキーとのセックス・スキャンダルでした。その時に危機管理の対応方法があるというのを学びました。

自らの危機も管理できない方が、自治体のトップや政治家になる事が行政組織の運営上、無理があると思いますし、住民が巻き込まれる可能性のある危機もそういったリーダーの下ではうまく対処できないのかもしれません。