安保法制の議論を見ていると、法案を提出した政府の考え方が分からなくなると同時に、こんな答弁等で国民を納得させられるのかと疑問を感じます。

私は、安全保障に対する法整備はしっかりとすべきだと思いますが、同時に同盟国の戦争に従属関係で巻き込まれないように主体性を維持するとともに、一定の条件はつけるべきだと考えます。

これまでは、日本が直接攻撃を受ける場合に自衛隊が武力を使う事は「個別的自衛権」で許されてきてが、これを他国が攻撃された場合でも日本の安全を守るために「集団的自衛権」で自衛隊が武力を使う事を許そうという改正の議論が行われております。

「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」というのが、集団的自衛権行使の前提条件のようですが、どのようにでも解釈できるものではないでしょうか。

ただ、今回の安保法制の議論は「自衛隊隊員のリスクが高まる、高まらない」等々、本来、議論すべき論点とは違うのも気になりまし、それこそ安倍首相が以前言われた「戦後レジームからの脱却」とも言える一大政策転換になるわけですから「80時間審議」などど最初から出口を設けるのではなく、国民を巻き込んだ真剣な議論をやるべきではないでしょうか。

感じるのは、安保法制に賛成の方も、反対の方も、そして法案を提出している政府も、よく理解していない上で議論をしているような感じがします。

イラク戦争で日本は米国のイラク攻撃を支持しました。そして、人道復興支援活動の名目で自衛隊をイラクに派遣しました。ただ、そこで我々が考えなければいけないのは、大量破壊兵器があるといってイラクのフセイン政権を打倒する為に行ったイラク戦争は開始されたわけですが、その後明らかになったのは大量破壊兵器などなかった事。そして、その後にイラクにおいてはフセイン政権時代よりも治安が悪化し、イスラム国が台頭する現在の状況を作り出してしまったわけです。

各国は様々なジャーナリズム等の力が働いて過ちを認めているが、日本は直接的な武力行使は行わなかったものの、イラク戦争に加担したわけです。そこの反省もないままに、安保法制成立を急げばまた同じような過ちを繰り返すのではないでしょうか。

私が一番、危惧しているのは「解釈」の変更という手段を昨年7月の閣議決定でも使った事です。時の政権が、自らの都合の良いように憲法や法律の解釈を変えていいとは思いませんし、この禁じ手を使えば、「慣習」としてその手法は未来へと受け継がれていってしまいます。

色々な識者の話を聞き、もっと議論を深めながら、本来は憲法改正の手続きにのっとて国民を巻き込む形でこの国の事を議論していかねばならないのではないでしょうか。