この情報化社会では、あらゆる情報に世の中は溢れ、リアルタイムに情報が入ってくる。

その情報には、欲しい情報もあれば、欲しくない情報もある。

好むか、好まざるかに関わらず、それを記したり、編集、管理する者の思惑で情報を見聞きする機会が多い。

情報が入ってこなくなると、いつの間にか、寂しさや、孤独感を感じるまでになる。

いつの間にか、それらの情報に人々は縛られ、
いつの間にかに、それを欲しつづけるのかもしれない。

この様々な物が発達した世の中で、あらゆる情報を遮断する方が困難な世の中になりました。

そんな中、サッカーW杯が目前に迫る日本代表の試合がありました。
アメリカのフロリダで試合が行われる為に、日本人の我々がテレビ観戦しやすい時間でない為に、録画して、帰宅してからテレビ観戦しようと思っております。

結果を知るより、知らないまま見た方が面白いに限ってます。

という事で、結果が分からないように、日常生活に支障をきたさないレベルであらゆる努力をしました。

車に乗っても、カーラジオは聞かない、テレビの音声も聞かない、ネットも使わないなど、日常生活で普段情報が入ってくるツールを自分なりに遮断したつもりでした。

スマホもニュースが画面に入ってきたら嫌でも結果をしってしまうので、なるべく目をそらしてました。

しかし意外な落とし穴が、ガラケーと呼ばれる旧タイプの携帯電話の画面に結果を知らせるニュースが流れ不覚にも目にしてしまいました。

この世の中はいらない、そして、避けたい情報でさえ、溢れてしまっているのです。

今回の話は、サッカー戦の結果という小さな事象ですが、世の中には我々の目にしたくない情報でさえも溢れかえってます。

これを防ぐ事は、無理でしょう。