昨日、以前から注目していた飯塚事件の再審請求に関して司法の判断が示された。
数日前に袴田事件の再審が決定しただけに、司法の良識に期待をしたが、結果は再審を認めないというものだった。
この飯塚事件では既に久間三千年・元死刑囚の死刑は執行されて既にお亡くなりになられている。捜査段階から一貫して無罪を主張していたが、DNA鑑定や状況証拠が決め手となって有罪として死刑が確定し、執行された。
足利事件などでも明らかになったように、当時のDNA鑑定の精度が低い事などにより、再審請求が出されていたが、棄却された。
しかし、今回の決定はなんとも腑に落ちない。
死刑制度に対して否定をしようとは思わない。明らかに殺意があり、人を殺めたりしたのなら、それ相応の罪の償いが必要だと私自身は考えます。
しかしながら、一貫して犯行を否認し、少しでも違う可能性を排除できないのであれば、冤罪を防ぐ意味でも死刑執行はすべきではないのか。
なぜ、司法がこの疑わしいDNA鑑定を含めて再審を行わないのか疑問に思う。
この裏を読むと、既に死刑が執行されて、そこで再審が決定し、新たな事実が明らかになる事によって日本の司法の失墜につながる事を彼らは恐れているのではないだろうか。
「不都合な真実」は明らかにされないのかもしれない。
今回の決定に関しても、再審をやらない明確な理由、そして疑念に対する明確な答えがないように思う。
司法の側こそ、再審に値しない明確な答えを示すべきではないのだろうか。
冤罪事件はなくしていかなければなりません。そして、それをするにはやはり取調の可視化を行っていかなければならないのではないかと感じる。