昨日は日帰りで上京でした。この一年間、だいたい月一のペースで上京してますが、さすがに日帰りはきついですね。

国会にも行ったのですが、議員会館前では特定秘密保護法案の反対デモが行われてました。私はこの法案は若干の修正をすべきではないかという立場であり、「許してはダメなんだ!」という程、反対の立場ではありません。



NSCとの兼ね合いで成立を急いでいるのでしょうが、NSCの設置を少し遅らせてでも、もうちょっと議論をして微修正をすべきではないかと考えております。ただ、この手の法案を絶対認めないというわけにもいかないのではないかと感じます。

そんな中、自民党の石破幹事長が、この反対デモの事をテロ行為と同じだとブログ等で述べておられましたが、身の危険を感じる程の大きなデモともいえないし、石破氏の考えでいけば、「政府に楯突く者は全てテロとみなす」という考えになり、とても危険な思想だとも感じました。のちに訂正はされたものの、このデモを「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」と述べておりますが、民主主義の起源はデモからであり、デモというのも一つの意思表示の手段であり、民主主義の一つのツールであると私は考えます。

私は大学をイギリスで過ごしましたが、イラク戦争の時も今の日本では考えられないぐらいの大きなデモがありました。民主主義の成熟した国会は、この手のデモに対してもある程度は寛容であるわけであります。


しかしながら、海外のデモは度が増して、暴徒化する場合もあります。確かに、そういったデモは身の危険を感じるのかもしれませんが、私から見れば、日本のデモはおとなしいというか、丁寧なデモであり、身の危険を感じる程ではありません。

あのデモで石破氏が身の危険を感じているのであれば、それはあまりにも臆病のようにも感じてしまいます。

確かに、日本の場合は議会制民主主義で理論上はなりたっているわけであります。文句があるならその政権を選ばなければいいという理屈も分かります。しかし、小選挙区比例代表並立制という制度の下、政党乱立になり、正しく民意が反映されていないという現実もあるわけでありますし、民主主義が政党にも国民にも成熟されていないので、公約と違う事をやる政党や、公約を見て選ばない国民など様々な事情があります。

その様な中で、議会制民主主義だけが民主主義だという事が成り立たなくなってきているわけであります。

暴徒化するデモは許されませんが、反対デモも民主主義の一つの手段だという寛容な気持ちもあってはいいのではないでしょうか。